しかし大前提として主人公の生活すべてが放送されているという身の毛もよだつ設定が手放しで笑えない怖さを与えています。
自分以外の全てが偽物で、自分だけが真実を知らない。そんな状況は普通だったら耐えられません。
視聴率のためなら何でもやるというメディアの姿勢に疑問を投げかけているのではないでしょうか。
行き過ぎた娯楽
人の人生を娯楽として放送する「トゥルーマン・ショー」は現代の私達にとってそれほど耳を疑う話でもないかもしれません。
メディアへの問題提起
他人のプライバシーを「報道の自由」「表現の自由」という名のもとに晒し者にしているメディアは存在しています。
またYouTubeやTwitterなどのSNSで自分の日常を世界に公開している人も多いです。
こういったものを普段から目にしている私たちの感覚が麻痺していないでしょうか。
「トゥルーマンショー」は1998年に公開された映画ですが、この頃から既にメディアのあり方に疑問を投げかけていたのです。
視聴者を風刺
この映画はメディアのあり方だけを問題にしているのではありません。
お金のためなら何でも垂れ流してしまうメディアと、そうと知りながら欲してしまう視聴者への風刺も併せているのです。
例えばワイドショーや週刊誌などで芸能人の不倫や下世話なネタを取り上げることはよくあります。
それは裏を返せば視聴者が望んでいるからに過ぎません。誰も興味のない題材を扱っても視聴率は伸びませんから。
作品中では、他人の人生を見ながら宣伝されている商品を購入するという視聴者のレベルの低さを滑稽に伝えています。
枠の中で生きる
私たちに与えられる情報が全て真実とは限りません。
シーヘブンではトゥルーマン以外は全員俳優でしたし、空さえも作り物でした。
情報操作
近頃では政府やメディアが事実を報道していないのではないかという疑惑が浮上しています。情報操作されているというのです。
テレビやネットの情報を鵜呑みにしている人が大多数だと思います。ですがその情報は本当に事実なのでしょうか。
トゥルーマンは自分の住む世界の綻びを見つけました。彼に与えられてきた情報はことごとく操作されていたのです。
そして誰も信じることができなくなった彼が導き出した答えは「自分で真実を見つけること」でした。
管理された社会
良くも悪くも安全な管理社会の中に私たちは存在してるといえるのかもしれません。
先ほどまで自分はトゥルーマンとは全く違う環境に生きていると思っていませんでしたか。
彼はぞっとするような管理下に身を置かれていました。
しかし管理レベルの差はあれど、私達だって全くの自由の中で生きているわけではありません。
街のあちこちに監視カメラが付いていますし、戸籍等で管理されているのですから。
常識は思い込み
トゥルーマンは自分の住む世界に何の疑問も抱かずに幸せな生活を送っていました。
クリストフが作り出した友人・家族・太陽。トゥルーマンが認識できるありとあらゆるものがクリストフの創造物でした。
私達も他人が考え出したものに囲まれて生きています。例えば社会のルールや学校・常識もそうです。