出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B00S60SVF2/?tag=cinema-notes-22
「火垂るの墓」は戦時下の元、幼い兄弟の生きざまを描いた作品ですが、兄清太の行動に批判の声も上がっています。
4歳と14歳で生きようと思った……そのキャッチコピーにこそ作品のメッセージが隠れているのです。
我がままなのでは?と批判される兄清太の行動の真相を知れば、泣かずにはいられない結末が訪れるでしょう。
そしてこの物語は、実は現代を描いた作品だったともいわれています。その真相を解明していきましょう。
「火垂るの墓」の舞台は現代だった
出典元:http://www.ghibli.jp/works/
「火垂るの墓」の内容に入る前に、知っておきたい作品の裏側をのぞいていきましょう。
裏側を知れば、火垂るの墓の印象が180度変わるかもしれません。
実体験が元になった作品
原作は作家である野坂昭如氏の実体験をもとにして書かれた小説です。
野坂さんのこだわりが強く、映画化は不可能といわれた作品を、高畑監督とジブリでアニメ化を成功させました。
「かわいそうな話ではなく、あっけらかんと生きた時代を描いて欲しい」と原作者、野坂氏は語っていました。
「火垂るの墓」は現代の話
火垂るの墓のオープニングでは、死にかけている自分の姿を見つめる清太の姿が描かれています。
場所は三宮駅ですがよく見ると、そこには1987年(制作当時)の灰皿が描かれています。
つまり清太と節子の霊がいる時代は現代ということになります。
実写とは違い、アニメは意図して描かれたものです。ということは現代の灰皿を描いたのは、舞台が現代であることを示しているのです。
「火垂るの墓」は地縛霊となり現代に佇む兄妹の終わりなき輪廻の物語りだったのです。清太達が成仏出来ないのは、生き方が満足出来るものではなかった為でしょうか。
「火垂るの墓」の清太は身勝手?
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大ヒットした「火垂るの墓」ですが、兄清太の生き方についてファンから不満の声も上がっています。
清太が身勝手といわれる訳
清太は学校へも行かず、仕事を手伝おうともしません。幼い節子を連れて、身を寄せているおばさんの家から出て行ってしまいます。
これがもし母親や父親だったら、節子の今後を見据えておばさんの嫌味に耐え我慢して身を寄せていたことでしょう。
もし清太が仕事をしていたら、おばさんの態度が違ったかもしれません。または、我慢してでもおばさんの家に身を寄せていたら、節子が死ぬことはなかったのではないでしょうか。
14歳の少年だからこそ2人で生きようとした
14歳といえば中学2年生です。15歳から兵隊として戦地へ駆り出されていた時代です。昔は今よりもしっかりと自立した子供が多かったでしょう。
そんな自立心の強い14歳の少年だったからこそ、妹と2人でやっていけると思ったのかも知れません。
おばさんの家を出た時、清太は父親は生きてると思っています。父親が戻ってくるまで2人で暮らそうという考えだったのでしょう。
清太は譲れないものを持っていた
清太の生き方は大人には理解しにくいかもしれません。しかし自分が14歳だったころを思い出してみると、清太の行動が理解できるのではないでしょうか。
子供は今を生きる生き物
大人になればなるほど、先を見通して生きようとします。しかし清太はまだ大人になり切れていない14歳の少年です。
まして戦時中は先の読めない時代です。