そんな大人が観るからこそ、子供時代を思い出し、感情移入しやすい物語となっているといえます。
イランにおける貧富の差
この映画ではイランにおける貧富の差・格差社会というものも細かに描かれています。
アリが父親と庭の手入れの仕事を申し込みに行くシーンでそれが巧みに描かれていました。
眠ってしまった富裕層の子供と別れる時、アリはその子にぬいぐるみを渡しますが、その表情には羨ましさがにじんでいました。
声には出さずとも、アリも贅沢でお金に困らない生活をしたいのです。
そして自分には持っていないものをたくさん持っている遊び相手に、羨ましさと同時に嫉妬も感じました。
しかし決してそれを声に出さないのがアリの長所であり、裏を返せば欠点なのかもしれません。
アリは、自分が決して恵まれているとは言えない状況の中で生きている影響なのか、人の痛みがわかる分、他人に対して優しすぎます。
それは同じくザーラにも言える事であり、自分の気持ちを押し殺してしまう癖が自然と身についてしまったのです。
この映画の素晴らしい点
モントリオール映画祭でグランプリに輝くほどのこの映画「運動靴と赤い金魚」。
子役の演技も大変素晴らしいと同時に他の素晴らしいと思われる点も紹介していきましょう。
無言の描写が素晴らしい
この映画には多々、会話と会話の合間に不思議な間合いがありました。
しかし言葉で説明しなくともそのシーンの意味するところがわかってしまうところが本当に素晴らしいといえます。
例えば、ラストシーンのアリがザーラに新しい靴を持って来れなかった場面などです。
何も言わないアリに対してザーラは“靴は手に入れられなかったのだ”という事を察知し、無言でその場を去ります。
そういう無言の間合いがこの映画に含みを持たせています。
台詞でなくとも、役者さんの雰囲気などでその場その場の空気がわかるように仕掛けられているのです。
目・表情の演技が素晴らしい
無言の描写と少し被るところもありますが、特にアリとザーラ、この二人の目と表情の演技が大変素晴らしいです。
例えば「君が好きだ」という台詞があるとします。
しかしこの映画は「君が好きだ」という事を直接台詞にしてしまうのではなく、物語の“間”と子役の二人の“目の動きの演技”“表情の演技”で言葉を伝える事に成功しています。
これがマジッド・マジディ監督の凄さです。
淡々とした映画なのに、多くのファンの心を掴んで離さないこの映画「運動靴と赤い金魚」。
子役の演技も絶妙ですが、物語の間合いや沈黙の表現に焦点をあてて観ると面白さが倍増する映画となっています。
一度と言わず何度も見返したい映画です。