実はこのあたりにも、娼婦を美化した理由が隠されているようにも感じます。
妻の影響もあった?
監督の妻バーバラは元看護士で、ロサンゼルスの無料病院で働いていたそうです。
非営利団体によって運営されていた病院なので、娼婦なども時折訪れていたのでしょう。
当然のことながらそこには人対人の会話もあり、バーバラは娼婦たちの人柄なども把握していたのではないでしょうか。
「娼婦=社会の闇」以外の考え方が生まれていたのかもしれません。
娼婦を勉強したジュリア・ロバーツ
ビビアンを演じたジュリア・ロバーツが、役作りの為に娼婦とロサンゼルスの街をドライブしたことは有名な話です。
彼女の熱心な役作りと、偏見のないタフな性格がビビアンという女性を作り上げていたのでしょう。
ビビアンのような純粋な娼婦もいるのかもしれないと思うのは、ジュリア・ロバーツだからこそ感じるものなのかもしれません。
劇中のオペラは現実社会を映し出している
劇中に登場するオペラは「椿姫」でしたが、このオペラも娼婦という世界を舞台にしており、現実を映し出す役を担っていました。
オペラとの共通点
「椿姫」は貴族の青年と高級娼婦の恋の話であり、まさにエドワードとビビアンの姿なのです。
劇中でこのオペラを選択したのは、そこに真実の愛が埋め込まれているからでしょうか。
椿姫のヒロインであるヴィオレッタには下記のようなセリフがあります。
これは虚しい夢
引用:「椿姫」/作曲:ジュゼッペ・ヴェルディ
もしかしたらビビアンも、同じような気持ちになっていたのかもしれません。
オペラの結末は甘くない
オペラでは高級娼婦ヴィオレッタが命を落とし、悲しみで幕を閉じます。
ここにもハッピーエンドになるビビアンとの対比が見られるのではないでしょうか。
ビビアンがエドワードと結ばれるのは、おとぎ話のシンデレラストーリーだからなのだと納得させられます。
『プリティ・ウーマン』は、細部にリアルな現実を織り交ぜながら夢物語のように幸せになっていくビビアンが描かれているのです。
だからこそ世界中の女性はもしかしたら自分にもチャンスが来るかもしれない、と夢を見ることが出来るのでしょう。
世紀の名作は人の心から生まれた
当初の脚本では、最低の男に描かれていたエドワードですがリチャード・ギアがNGを出したことで大きく書き換えられています。
本作は一歩間違えれば、ダークで非凡な映画に終わっていたでしょう。
しかし様々な人の思いで、娼婦ビビアンが魅力的に生まれ変わりエドワードも理想の男性に描かれました。
『プリティ・ウーマン』は、制作者と役者の心によって生み出された不朽の名作なのです。