出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B01N35F7L3/?tag=cinema-notes-22
同じアメリカ映画でも、ハリウッドのブロックバスターと一線を画す作品を作り続けるジム・ジャームッシュ監督。
いわゆるアート系の映画を得意とし、カンヌ国際映画祭受賞の常連でもあります。
代表作は「ストレンジャー・ザン・パラダイス」。独特のオフビート感に溢れた世界が描かれています。
「パターソン」は、そのジャームッシュ監督の「集大成」ともされ、彼の世界観が見事に凝縮し提示された佳作に仕上がりました。
何気ない日常を切り取って見せていますが、実は映画全体が「ポエム=詩」になっている構成。
そこが見事であり、ジャームッシュの世界そのものなのです。
観た人を心地よくさせ、癒やされると感じさせる本作には多くの読み解きポイントがあります。
ここでは、主人公パターソンが朝起きる時間が少しずつ遅くなっていくのはなぜか?
永瀬正敏演じる謎の詩人の言葉に込められた真意や、盛んに登場する双子の示す意味についても考えてみましょう。
1週間の叙事「詩」
ニュージャージー州に実在するパターソン市。そこの市バスの運転手パターソン(アダム・ドライヴァー)。
映画は彼の朝起きてからの1日を彼が作る詩と共に1週間分綴っていきます。
リズムを与える本物の詩
主人公パターソンは、秘密のノートに日々感じたことを詩にするのが趣味。
映画では彼の詩が字幕で示されパターソン自身が読み上げる声が流れます。
散文的とも叙事的とも、叙情的とも、観念的ともいえるまことに不思議な味わいを持つ詩。
日常の生活の一部から切り出してきた「言葉たち」であることは確かです。
この詩は、ジャームッシュの友人でアメリカの現代詩人ロン・パジェットの作品。
彼がこの映画のために書いた新作と旧作が使われています。
この詩が作品に心地よいリズムを与えています。
いつもの1週間
月曜の朝から次の月曜の朝までパターソンは規則正しい生活を送っています。
だいたい6時過ぎに起きて、横に眠っている愛妻ローラ(ゴルシフテ・ファラハニ)にキス。
朝食はお決まりのシリアル。
ランチボックスを持って職場へ行き、運転席で詩を少し書き、市バスを運転し、滝のところでランチ。
そこでも詩作。
夕方には帰宅し、妻と夕食を食べ、愛犬のブルドッグ、マーヴィンを散歩させながら馴染みのバーに。
そこでビールを1杯だけ飲んで帰り、ローラとベッドに入る。
引用:パターソン/配給:ロングライド
この繰り返しです。ドラマチックなことなど起きない何の変哲もない日常が淡々と綴られていきます。
しかし、それを「代わり映えしない」と捉えてしまってはこの映画は「詩」になりませんし、本作の「美味しい」鑑賞法とはいえないでしょう。
そこでジャームッシュは本作を「映画詩」に仕立てるため様々な工夫を凝らします。
少しの変化が詩を生み出す
同じことが繰り返されているようで、実は小さい変化は日々起きているのです。
散りばめられている「詩」の要素
全編を1週間で描いているのは、各曜日に詩における「章」のような役割を果たさせようとする監督の演出とみられます。
ジャームッシュは「章」「行替え」「韻」「句点」「読点」という詩を構成する事柄を「映像によるメタファー」として登場させています。
それらを毎日どこかに登場させ、映画に詩情とリズムを与えていきます。
例えば、毎朝バスが出る前にパターソンに点呼をかける黒人の男。彼が語る愚痴には毎朝少しずつの変化が示されています。