自ら手を下すこと無く高みからせせら笑うように行っているのが恐ろしい知能犯ですが、かといって単なる金の亡者ではありません。
まず冒頭からして旧友のホリーを呼び寄せる為に敢えて自ら死を偽装し警察の目を掻い潜ってホリーに会うと、用意周到です。
金儲けも標的を定め無税で行ったり、更には社会の仕組みを知った上で核心を突くことをいうなど大罪人なりの哲学が感じられます。
それでいて、人の死には何の痛みも感じないドライな合理主義でもあると凄く多面的な魅力に溢れた純粋悪で、一部も隙がありません。
こうした「悪」の様々な面を無駄なく高度に表現しているのが、ハリー・ライムが時代を超えて尚愛される所以ではないでしょうか。
ハリーに引き金を引いた人
本作最大のクライマックスたる下水道の追跡で、ハリー・ライムは銃で撃たれとうとう死を迎えます。
壮大なスケール感と綺麗な白黒の映像美で表現されていますが、ハリーに引き金を引いた人はぼかされています。
ここではその正体をはじめ、色んな角度から解釈してみましょう。
何故黒でぼかしたのか?
引き金を引いた人物はハリーの旧友ホリーで間違いないでしょう。流れで見てもそれが自然な解釈です。
ここで気になるのは何故直接に明示せず、黒でぼかしたのか?ということです。
様々解釈がありますが、一番は「ホリーがハリーを射殺した」という事実が重すぎるからではないでしょうか。
彼のやったことは正義の為とはいえ立派な「殺人」です。下手すれば逮捕されていてもおかしくありません。
協力していたとはいえ、ホリーは「作家」であって「警察」ではないのですから、見方次第では一線を超えてしまったことになります。
だからこそ、「殺人」という事実を上手く煙に巻く手法として白黒の「黒」という映像演出を用いたのでしょう。
ホリーがウィーンに呼ばれた理由
ホリーがウィーンに呼ばれた理由は表向きハリーから慈善事業に協力して欲しいという要請があったからでした。
しかし、その実態は上述したように闇市場での違法な金儲けだったのです。要するに都合良く利用されたことになります。
ここで不思議なのは本当にただ慈善事業に協力するという名目だけでわざわざウィーンに来るのか?ということです。
もしかすると、ホリーは作家として燻っていたことからハリーと組むことで売れたいという功名心もあったのかもしれません。
ホリーは元々ハリーの天才的な才能に尊敬の念を持っていたことを思うと、そのような考えに至ったとしてもおかしくはないでしょう。
そういう様々な要素が複合的に絡み合った結果、ホリーはわざわざ米国からやって来たのではないでしょうか。
少なくとも単なる友情だけでも、そして慈善事業という名目だけでもないはずです。
ホリーとハリー
こうして見ると気になってくるのはホリーとハリーの関係性です。旧友といえど最終的に射殺してしまう形となってしまった二人。
ここでは改めて対照的な二人の人物像について結末を踏まえた上で考察していきましょう。
鏡写しの二人
ホリーとハリー、全く対照的な二人をじっくり対比させてみると鏡写しの関係であったことが見えてきます。
まず西部劇に憧れ純粋な正義感の持ち主であるホリーに対して、人の命を奪うことを何とも思わない純粋悪のハリー。
三流作家として鳴かず飛ばずの凡才に対して、社会の闇に通じ金儲けの仕組みを簡単に作り上げてしまう天才。
そして、最終的に警察に売り渡して多数派に付いた者と、最期まで孤独に生き続け少数派を貫き通した者。
見事なまでにこの二人の生き方は鏡写しであり、このコントラストが「白」と「黒」という映像演出とも上手く重なっています。
左右極限を知らねば中道に入れず
「第三の男」でもう一つ語り草になっているのは遊園地のゴンドラでの二人の掛け合いでしょう。
ここでハリーは非常に面白い示唆に富んだ発言をホリーにします。
イタリアの30年のテロや虐殺などの闘争の結果ミケランジェロやダヴィンチ、ルネサンスが生まれた。
スイスの民主主義500年人類愛と平和が何を?鳩時計だけさ。引用:第三の男/配給会社:東宝東和
世の真理を突いた鋭い発言です。しかも元来の脚本ではなくオーソン・ウェルズのアドリブだというのですから驚嘆に値します。
確かにその通りです。とんでもなく悪いことをしてきたイタリアは一方で歴史的な遺産のような良い物も多く生んできました。
しかし、人類愛と平和を守ってきたスイスは目立って悪いことこそしてないものの鳩時計という汎用なものしか作ってこなかったと。
これを仏教の言葉に置き換えると「左右極限を知らねば中道に入れず」になります。