圧倒的な「善」は圧倒的な「悪」と一対であり、その両方を知っているからこそ真ん中にある「普通」も分かるということです。
逆にいえば「善」と「悪」を正しい間違いで論ずるホリーの見方の幼稚さを皮肉っているともいえるのですが…。
鳩時計の意味
こう考えると鳩時計が何を意味するかも見えてきます。鳩時計とは「平凡」の象徴、具体的にはホリーその人ではないでしょうか。
ホリーは主人公としては余りにも「普通」過ぎました。行動原理も価値観もアンナへの好意も正義感の強度も全てが「普通」です。
世間一般ではこういう人を「いい人」といいますが、逆にいえばそこから先の深みや魅力に欠けるということでもあります。
だからこそハリーが大罪人として命を間接的に奪っていると知るだけで簡単に警察側につくし簡単に友情を裏切って射殺する。
余りにも道徳的故に全ての言動・行動が表面的で薄っぺらい。それが鳩時計に象徴されるホリーの本質なのでしょう。
そしてそれがまたアンナの神経を逆なでしていることもつゆ知らず…。
アンナがハリーを愛し続けた理由
今度はアンナの視点から考察してみましょう。アンナは一貫してハリーを愛し、ホリーを蔑み続けました。
余りにもきつすぎるアンナの態度ですが、彼女が一貫してハリーを愛し続けた理由は何だったんでしょうか?
猫とアンナ
ついつい見逃しがちな細かいポイントとして、「第三の男」には「猫」の存在が挙げられます。
猫はハリーにのみ懐きますが、キリスト教では猫は「悪」の象徴で、だからこそ悪の魅力が強いハリーに懐くのです。
アンナもまたホリーにそのことを指摘しますが、猫は同時に「悪」の側であるアンナ自身とも重なると感じられます。
動物の使い方で細かく善悪や登場人物の関係の色づけをしているのも本作の面白い所ではないでしょうか。
善悪を超えるエゴイズム
アンナはハリーが大罪人と知っても尚ハリーを愛し続けようとしました。ここまで行くと健気というより自分勝手です。
確かにアンナとハリーは「偽装(偽造)をした犯罪者」という似た境遇をお持ちですが、それだけでここまで愛しようとするでしょうか。
もうこれは正しい間違いという範疇を超えたエゴイズムなのです。そこに社会的な規範や理屈なんてありません。
故に彼女の態度はどんな時も全く変わらなかったのでしょう。
ラストカットが示すアンナとホリーの関係
そんなエゴイズムで動くアンナにとってホリーなど取るに足らないつまらない男でしかありません。
そのホリーが結果的にとはいえ自分が一番大切にしている人の命を奪い取ってしまったのです。
本来なら報復や復讐があってもおかしくないのですが、それを彼女はせず徹底的に無視を決め込みました。
並木道でホリーを一瞥もせず淡々と横を通り過ぎるラストカットは正にそんな二人の関係を的確に表現しています。
「好き」の反対は「嫌い」ではなく「無関心」とは正にこのことです。
真の天才は表に出ない
「第三の男」には最後にもう一つ大事な教訓が隠されています。
それは真の天才は決して表に現れることはないということです。これはいわゆる善人だろうと悪人だろうと変わりません。
もしハリー・ライムのような人間が表に出たらどうなるのか?本作が示すように権力側から危険視されて、場合によっては処刑です。
世に理解されない少数派の天才はひっそりと世間の目を避けながら今日も歴史を生き続け、裏で大きな仕掛けを作っているのでしょう。
あなたの近くにももしかしたら、そのような世の表舞台に立たず暗躍する真の天才が紛れ込んでいるかもしれません。
「第三の男」はそうした色んなメッセージを我々に伝え続けてくれており、だからこそ噂に名高い傑作たりえているのではないでしょうか。