彼が周囲から理解を得られずに感じる苦しみは、作品の情感的な部分を深く表現しています。
理解され難い、映画への情熱
エド・ウッドの監督としての才能はからっきし。上映会では観客が暴徒化するほどです。
それでも彼は映画への夢をあきらめません。
映画での成功を目指すエドの姿に、夢を追う自身の姿を投影する観客も多いのではないでしょうか。
かつての名優、ベラ・ルゴシ
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エド・ウッドの監督人生の転機となったのが、名優ベラ・ルゴシとの出会い。
演じたマーティン・ランド―は、第67回のアカデミー賞助演男優賞を受賞しました。
終わった“ドラキュラ俳優”
ハンガリー出身のベラ・ルゴシ。
『魔人ドラキュラ』のドラキュラ役として一世を風靡したスターで、エドも大ファンである俳優です。
しかし作中では、しばしば人々から「死んだのでは?」などと言われてしまいます。
いわゆる“終わった人間”扱いです。映画出演の依頼もなく、ひとり薬物に浸る日々。
名優としてかつて輝きを放ったベラが落ちぶれる姿には見ていて痛ましいものがあります。
輝きを失わない、かつてのスター
ですが一方で、ひとたびスクリーンにうつればベラ・ルゴシはかつての輝きを取り戻します。
落ちぶれてもなお、誇り高く演じる彼の姿に胸を打たれる観客も多いはず。
成功とはいえないエドとベラの人生。
ですが、エドの撮ったベラが名優として甦る様には感動すら覚えます。
“終わった名優”と“芽の出ない監督”の友情

エドとベラ。ふたりの映画人にはそれぞれ共感の要素があります。
夢を追いかけるが叶わない、マイノリティのエド。かつての夢の記憶と現実とのギャップに苦しむベラ。
ふたりはどちらも主人公と呼ぶことができるかもしれません。
そして映画『エド・ウッド』の情感的な部分を支える芯となるもの。
それは、エドとベラの友情だったのではないでしょうか。
ふたりの友情の礎となったのは、双方が持つ映画という名の夢への愛と情熱でした。
“史上最低”だけど、成功?
死後、“史上最低の映画監督”として、その作品がカルト的人気を獲得したエド・ウッド。
映画中の彼の創作スタイルには、その“汚名”に頷けてしまうものを感じます。
彼には映像の完成度に対するこだわりはないのです。
だから、出来上がった彼の作品はガタガタ。
映画好きな人物こそ、その出来栄えには怒りを感じざるを得ないのでしょう。
しかし、それでもエドが彼なりに映画を愛していたことには変わりありません。
そして誰よりもそれを認めていた存在が、ベラ・ルゴシでした。
生きている間には成功せず、最後には酒におぼれて死んでいったエド。
ですがたとえ“最低”の称号だったとしても、彼は映画史に名を刻みました。
また同時に、盟友ベラ・ルゴシの名前も世間に轟かせることに成功したのです。