これはアキとカナが本当に惹かれあっていた事が切実にわかるシーンで、アキがこの世に確かにいた、という存在証明なのです。
颯太の身体を借りて自分はアキだと周りに言っても、容姿は颯太である事から全く相手にされませんが、カナだけは違ったのです。
最初はカナも変な人だと相手にしていませんでしたが、颯太と過ごす時間の中でアキの面影をカナは彼に見ていました。
これは恋人であったカナだけがわかる特別な事で、自分はここにいるよ、というアキなりの最大の自己主張なのです。
僕は僕だ
颯太がアキなのでは?と問い詰めるカナに、僕はアキさんではないという主旨の台詞を言い放ち、颯太はその場を逃げ出します。
これは自分を主張するのが苦手な颯太が初めて見せた、僕はアキではなく颯太であるという心の叫びです。
アキではなく自分を必要としてほしいという、颯太の本音であり、心からの願いといえます。
颯太はアキに消えてほしくないという気持ちと、自分自身を必要としてほしいという気持ちの間で葛藤し、揺れ動いているのです。
颯太はアキやその周りの人物と触れ合う中で、本当の自分を見付け、アキのようになりたいと思っていたのでしょう。
タイトルに込められた切ない意味
「サヨナラまでの30分」は映画がラストに向かうにつれその意味が次第にじわじわと胸にくる非常に切ない映画です。
30分はカセットテープが回る事のできる時間。
アキという人物が颯太の身体を借りて生きていられる唯一の時間です。
この物語は颯太が本当の自分を見付けていくまでの物語で、その颯太の心の変化を見届けられたからこそ、アキは安心してこの世界にさよならができました。
颯太がアキの意志を受け継いで、アキが目の前からいなくなっても、自信を持って生きていけるという事が確認できたのでアキは皆とさよならをしたのです。
見応えのある音楽シーン
颯太役を演じる北村匠海は男性アーティスト集団EBiDANのメンバーであり、ダンスロックバンド・DISH//のリーダーでもあります。
「サヨナラまでの30分」は新田真剣佑と北村匠海のその類稀なる演技力と歌唱力がそれぞれの個性で光っている感動映画です。
特にライヴハウスやラストのフェスなどの音楽シーンは二人の美しい歌声に圧巻されます。
ただの青春音楽映画に収まらず、人間ドラマも非常に繊細に丁寧に描かれている涙なしでは観られない映画です。
まとめ
マンガや小説原作の映画やドラマが多い昨今、完全オリジナル作品でも飽きずに観る事のできる「サヨナラまでの30分」。
ミニシアター系作品であるのが勿体無い!と思える非常に完成度の高い映画です。
カセットテープという、今の時代では珍しい小道具の持つ、無限の可能性や温かさを感じられる作品となっています。
“人の死”を描いている作品ですが決して暗くなりすぎず、ただのお涙頂戴映画ではない多くの人に観られていい仕上がりの映画です。