いずれにしろ、お金に目が眩んだ現代人への風刺と捉えられます。
映し出された絶望
絶望や虚しい生活
この映画を見ていると、生きることに絶望的にさえなってきます。
ジャンクフードを食べ、土地を転がして大金を得て、小銭をもつものはローンで車を買う。
車を売る側は少しでも値段を吊り上げようと、不必要な塗装をしたり、ローンの審査に出さずに金をちょろまかす。
何のために人は生きるのか、何を喜びとし希望を見出しているのかと、逆説的に考えさせられます。
食べて、寝て、お金を数えて、妊娠をして、子供を産み育てる行為自体は、養豚場の豚とさして変わりません。
そうすると、人として生きるということは、どういうことなのかと考えずにはいられなくなってきます。
日本文化が対向にある
突如、日系人マイク・ヤナギタが登場しますが、なぜ日系人なのかを考えました。
日本人といえば、礼儀を重んじ、謙虚でアメリカ人のように主張をはっきりしません。
そんな日系人が虚言を吐き、狂ってしまう社会はどんな社会なのでしょうか。
テレビを朦朧とした頭でぼんやり見ている人たちの社会と、対向にある社会の象徴として、日本の文化が引き合いに出されているように見えます。
マイクの妄想した悲劇のストリーは、悲喜交交の人生そのものが、生きることの意味であり豊かさなのだとアンチテーゼのように教えてくれています。
素晴らしい人生
この詫びしい映画を見ていると、人生で大切にしなければならないことが浮かび上がってきます。
それは、文化と感受性です。
日々の暮らしの中に、ワビサビを見出す日本人の素晴らしさを改めて思います。
安易で、簡単で、快楽ばかりを追っている日常には、人は狂ってしまうのかもしれません。
衝動的に殺して、奪って、妬み、競い合うような状況で、どうやったら人は救われるのでしょうか。
暗澹たる気持ちになってくる一方で、マージのお腹には希望の象徴である子供がいます。
希望のない未来
人の誕生は、通常なら希望に満ちた出来事です。
けれどマージの膨れたお腹には、そういった希望を見出せないのは私だけでしょうか。
矜恃を持つこともなく、ただ再生産されていく命なのだとしたら、可能性や感動を覚えられません。
マージの妊娠は、そのようなアメリカ社会の希望のない象徴として描かれているのではないでしょうか。