これはスアンの生きる力の強さをよく表しています。
悲しみの渦中にありながら、歌で自らを励ましながら、父に捧げた歌でもあったのでしょう。彼女が最後に父に教えたことは大きかったです。
人に優しくすること、思いやること、一緒に未来を歩めるように努力すること、を子供に教えられます。
際立って見える、彼女の感性や強さを見ていると、彼女には色んな協力者が現れやすいのがわかります。
狙って計算せずに、人としてまっすぐに進む中で彼女には道が開けていくのです。
最後のシーンでは母親まで辿りつきませんでしたが、きっと母親も無事で出会えるのだろうと予想できてしまう強運な存在感が見えます。
この先に人類が進む世界
ソグは、感染列車で本当の人間になった
他人のことより自分の身を守れとスアンに教えていたソグでしたが、人の助けを受けて行く中で、人の心を取り戻したのでした。
スアンがどれだけ父を求めているのか、そして愛してくれているのかを理解し、人間らしい感情も取り戻していきます。
みなで協力して助かろうと意識が変わっていきましたが、最後に感染してしまいます。
光に包まれて生まれてきた子供たち
ソグが意識が遠のく中で思い出したのは、スアンが生まれてきたときの景色でした。
最初は、幸せに包まれていたのです。子供と妻を幸せにしようと誓って頑張った結果、妻と子供の心は離れました。
一方で妻や子供に寄り添っていたら、高い給料が得られないというのはジレンマが残ります。
仕事をとるのか家庭をとるのか、とその両立に悩む人は多いですが、これは夫婦間の話し合いで解決できる部分が多いです。
真面目な人ほど、仕事にのめり込み、いつしか初心を忘れてしまっていたのですが、本当はただ目の前の人を幸せにしたかったことを思い出しましょう。
本当に怖いのは、ウィルスよりも人間のエゴ
人を愛することや、家族を守るという人間の基本の欲求が、いつしかエゴにまみれて失われていく怖さをこの映画は問うているように受け取れます。
ちょっとした愛情の交換や思いやりを人に向けることの中で感じられる幸せが、経済的な生存競争の元でなおざりにされているのです。
利己主義の経済活動が、人々の思考を占拠してウィルスのように広がっていることを暗に示しているのがこの映画なのではないでしょうか。
恐怖に駆られた人々が、次々に他人に襲いかかり血を吸っていくが、そこには人間らしさや人としての意識はありません。
あなたは、そんなゾンビのような暮らしをしていませんか?と問われているように思いました。
餓鬼のように他人を食い物にするような生き方をしていないだろうか、と考えると今の社会のあり方が末期的なのではないかと危機感を覚えます。
けれど最後にスアンが歌って、未来の希望を切り開いたように、新しい命たちは、新しい未来を切り開いていく可能性に満ちていました。
まだこの社会にも希望は残されています。