出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B00005EDRX/?tag=cinema-notes-22
今や「世界のキタノ」としてその名を知らぬ者はいないであろう名監督・北野武。
そんな彼の作家性を世に知らしめた衝撃の本作はそれまでの邦画とは明らかに違う画面、そしてアクションの数々を提示しました。
受賞歴は以下の通りです
ヨコハマ映画祭・監督賞
第63回キネマ旬報ベスト・テン日本映画第8位
第11回ヨコハマ映画祭日本映画ベストテン第2位
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/その男、凶暴につき
さて、放映当時から本作は北野武監督の作家性を中心にその画面の美しさ、それまでの邦画にない突発的暴力と様々語られてきました。
一方パソコンを打つ女や菊池が新開から金を受け取った真意、酒井を殺した人物等の細部は十分に議論されていないのではないでしょうか。
今回はそんな本作のあまり語られない部分について、本筋を押さえつつ考察していきましょう。
処女作に見る北野監督の作家性
よく「処女作にはその作家のすべてが詰まっている」といわれますが、「その男、凶暴につき」は正に北野武監督のすべてが詰まった作品です。
まず以後の北野映画の作風の根幹ともいうべき本作の要素はどんなものがあるのでしょうか?
静かなる狂気
「その男、凶暴につき」をはじめ北野武監督作品はどんな作品であれ、全体として静かなる狂気を内側に孕んでいます。
本作では主人公・我妻諒介と殺し屋・清弘の二人がその象徴といえるでしょう。
我妻諒介は刑事としては余りにも型破り過ぎて、必要とあらば誰彼の見境なく暴力を振るいます。
しかもそれをごく淡々と、まるで呼吸でもするかのように涼しい顔でやってのけてしまう尖ったナイフの如き鋭さです。
一方彼のライバル清弘も殺しのためならどんな残虐な手段だろうと平然と使う、正に「殺し屋」という名が似合います。
画面全体にどこかまとわりつく異様な空気は以後どの作品においても共通する特徴です。
並ぶこと=笑い
「並ぶこと=笑い」は北野武監督がいわゆる「ビートたけし」の芸風としてのお笑いに由来する特徴です。
「その男、凶暴につき」では我妻と岩城、我妻と菊池、我妻と妹等々2ショットないし3ショットが大半を占めています。
中でもバディとして行動を共にする我妻と菊池の漫才コンビのような掛け合いはラストにも繋がる必要不可欠な要素です。
勿論刑事物として見ると二人一組が基本なのでバディシステムというのもあるのですが、二人の関係は漫才でしょう。
凶暴な我妻に振り回されながらもフォローする無器用な新米刑事という構図は漫才のボケとツッコミではないでしょうか。
我妻の妹と知り合いそのまま肉体関係に発展してしまった男に対して我妻が折檻を入れる場面もどこか漫才のようなノリです。
終盤清弘が静かに銃を構えてる後ろで微動だにせず並んでる三人組もどこかシュールなコント集団っぽく見えます。
全体としてはシリアスな映画なのに、どこか並ぶとシュールでおかしく見える、その匙加減が絶妙な面白さとなっているのです。
突発的な暴力
北野映画最大の特徴といえばやはり「突発的な暴力」でしょう。
様式美に則ったアクションの為のアクションではなく、日常風景の中に咄嗟に暴力が出てくるのです。
しかも一度暴力を振るわれたら基本的に逆らうことは出来ないという鉄則も一貫しています。
現実の暴力は確かにそういうもので、プロの格闘家でもない限りいきなり暴力を振るわれれば抵抗は不可能でしょう。
そしてその突発的な暴力の極致が後半~終盤で見せる銃撃戦であり、一度急所に当たってしまえば誰であろうと即死です。
特に清弘が報復目的で我妻に銃を撃つ時、我妻が弾いた流れ弾が隣の女性に当たって即死という流れにそれが伺えます。
このシーンは暴力描写の「痛さ」は勿論何より「恐怖」を物凄く効果的に演出しています。
平和な日常においても、油断すれば本当に呆気なく殺されてしまう、一瞬で命が奪われて時間が飛んでしまう。