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クリント・イーストウッドが監督し、太平洋戦争末期の硫黄島の戦いを日本軍側からの視点で描いた『硫黄島からの手紙』。
作中に出てくる栗林中将は実在の人物であり、アメリカ側からも軍司令官としてかなり高い評価を受けている人物です。
アメリカがなぜ高い評価をつけるのかというと、硫黄島での戦いが想定したものよりもはるかに苦戦を強いられたからです。
そもそも当初は「水際作戦」だったのに、なぜ栗林中将は作戦を変更し、地下要塞を築く作戦を選んだのでしょうか。
そこには栗林中将の人柄やずば抜けた戦況把握が影響しているようです。また、最後まで生き残った西郷がなぜ殺されなかったのか。
西郷が殺されない理由からも、当時の硫黄島の戦いの様子が見えてきます。
当初の作戦であった水際作戦とは?どこまで有効的な作戦なのか?
島での戦いでは水際作戦が多く使用されます。水際作戦とは、敵兵を上陸させる前に殲滅しようとする作戦です。
上陸する場所は基本的に船や車両をつけられる砂浜で、ここには障害物がほとんどありません。
物資の運び込みも行わなければならず、上陸する兵士はほとんど裸同然なので、最も狙われやすい状況なのです。
南洋諸島で戦いを繰り広げてきた日本軍にとって、島嶼防衛=水際作戦はもはや定説でした。
当然、硫黄島の戦いでも同様の作戦が取られていましたが、なぜ栗林中将は作戦を変更したのでしょうか。
水際作戦は確かに有効だが…
確かに水際作戦によって、アメリカ軍を撃退したこともありました。それだけ水際作戦は有効的です。
有効的な作戦ではありましたが、水際作戦がアメリカの膨大な兵力に屈してしまったこともあります。
その最たる例が、日本の本土空襲を可能にしたサイパン島での戦いでした。
部下に水際作戦の変更を告げ、反対されたときこのように栗林中将は語ります。
アメリカが年間に何台の自動車を生産しているか知っていますか。
引用:硫黄島からの手紙/配給:ワーナー・ブラザーズ
太平洋戦争末期になると、アメリカとの戦いにおける水際作戦の有効性に疑問符がつけられ始めます。
優秀な司令官だった栗林中将はアメリカの物質量に水際作戦が適わないことは、薄々気付いていたはずです。
実際に硫黄島の戦い以後、沖縄戦でも敵兵を上陸させて殲滅する作戦が取られました。
大本営も水際作戦では島嶼防衛ができないことに気付いていた
アメリカに出向いており、日本とアメリカの軍事的知識を併せ持っていた栗林中将。
水際作戦の中止を提言したとき、部下からは多くの反対があり、中には意見の相違で本土に帰った部下もいました。
それだけ古参の将校にとって、水際作戦は定説となっているのです。
一方、サイパン陥落以後の大本営が水際作戦を使用することに「注意」を促していました。
つまり大本営も本作戦が絶対的に有効ではないことを知っていたのです。
栗林中将の徹底した合理主義と封建的考え方
当時の全体主義である日本と比べると、アメリカやカナダで生活を送っている栗林中将は、はるかに合理的考え方をする生活をしてきました。
これまでの日本の精神論を打ち破る考え方は、本作中でも随所に現れます。
徹底した合理主義
- 上官が西郷を棒で叩くシーンで「体罰禁止」を命令
- 部下のバンザイ玉砕要請を拒否、本部合流を命令
- 陸軍と海軍の協同が必要であることを示唆
体罰では生産性は向上しないし、玉砕するよりは一人でも生き残った方が戦力になります。
さらに、いつもいがみ合っていた陸軍と海軍の協同を考えていました。これまでの日本の精神論でなく、より合理的に物事を進める栗林中将です。
水際作戦によってアメリカの軍事力に玉砕をするよりも、絶対国防圏であった硫黄島を守るには地下要塞で日数を稼ぐことを考えていました。
日数を稼げば、援軍の可能性もあります。だからこそ、大本営に対して援軍の要請を送ったのです。
これらのことから、栗林中将が精神論にとらわれない合理的な考え方をする人物であったことが分かります。
合理主義でありながら、トップダウンという封建的な思想も併せ持つ
合理主義アメリカのように個人を優先させるのかというと、栗林中将は必ずしもそうではありません。