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本作品は、1990年の公開当時、主演のデミ・ムーアがろくろを回しているという印象的なテレビCMの効果もあり一世を風靡した恋愛映画です。
不協和音からはじまる本作品は、冒頭部分だけを観ると、とても恋愛映画のはじまりとは思えないくらい不気味な感じがします。
ホラー映画がはじまったのか?と思えるくらいのインパクトです。
当時はもちろんCGも普及してない時代ですので、映像の特殊効果という点に関しては、現在の映像と比べてかなり見劣りします。
が、そんなことは本作品の価値とはなんの関係もない!というくらい今でもインパクトのある内容の作品なのです。
今回はそのストーリーの中でも、最終的にモリーにサムの姿が見えるようになった理由を考察していきます。
さらに、モリーが最後にサムに返した「同じく」という言葉の真意とは何だったのかも考えてみました。
主題曲「アンチェインド・メロディ」
主題曲の存在
今でもこの「アンチェインド・メロディ」を聴くと、「ゴースト/ニューヨークの幻」を思い出す、という方は多いと思います。
ライチャス・ブラザースのこのバージョンは、本作品と一体化しているといっても過言ではないくらいの強烈な印象がありますね。
一体どのような点が「ゴースト/ニューヨークの幻」とリンクするのか、歌詞からその秘密を紐解いていきましょう。
本来の歌詞の意味を超えて
もともと、日本未公開の映画「アンチェインド」の主題歌として生まれたこの曲は、刑務所から逃走して家族の元に帰る、ということを夢想する囚人男性の曲。
しかし詞を読むと、なぜかこの「ゴースト/ニューヨークの幻」のために生まれた曲のような気がするのです。
それは愛する人に会いたい、そして触れたいという切ない気持ちが、本作品のテーマとほぼ全く同じためなのでしょう。
これ以上はないというくらい絶妙なシーンでこのメロディが流れてくると、それだけで涙ぐんでしまう人は多いのではないでしょうか。
この曲に秘められた切なさが、本来悲しい物語である本作品をハッピーエンドで終わらせたとまでいえるでしょう。
この曲の採用は、本作において大きな意味を持っています。
天の采配
天使と悪魔
本作はサムが殺された夜からすべてがはじまります。
天使と悪魔、善と悪の闘いです。
古来より何度も何度も繰り返されてきた善と悪の闘いが、本作品のもうひとつの大きなテーマとして作品全編にちりばめられているのです。
悪魔は人々を暗黒に陥れようとし、天使は必死に迫ってくる暗闇から逃れようとするその闘いの結末は一体どんな結末を迎えるのでしょうか。
闘いの結末
劇中で善と悪、天使と悪魔として象徴的なのが、登場人物が亡くなるシーンです。
善人は死ぬと天から柔らかい光が降りてきて空へと舞い上がります。
さながら、多くの人が想像する魂が天に召される瞬間そのものです。
一方、悪人の場合は全く異なった表現がなされています。
死ぬと、地面から不気味なうめき声とともに無数の黒い影が霊に襲いかかってきます。
まさに死神が迎えにきたかのようです。
カールもウィリー・ロペスも自分を悪魔とはいいながら、死神と対峙するシーンで実際はただの人であることがわかります。
恐怖の表情を浮かべながら地面に引きずりこまれていく様子から分かるのは、悪魔に取り憑かれた、ただ心の弱い人だったということです。
ここでひとつ疑問が湧いてきます。なぜ、天はカールの霊を死神の手に委ねたのでしょうか。
実はカールは誰も殺しておらず、ただ命令に従っただけなのに死神の手に委ねられることに違和感を感じた人もいるのではないでしょうか。
このシーンでは「悪とはなにか、善と悪との境目はどこにあるのか」、観る者にそんな問いかけをしているように感じられます。