出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B000ANW0W8/?tag=cinema-notes-22
2003年公開の『黄泉がえり』は、梶尾真治の同名小説を元に作成された映画です。
阿蘇地方を舞台に不思議な黄泉がえりを描いた本作は、大切な人との時間について考えさせられます。
劇中で、死んだはずの葵はなぜ平太の前に現れたのでしょう。
そして、劇中で恋人俊介が黄泉がえらなかった理由は、平太のせいだったのでしょうか。
黄泉がえりの仕組みを紐解きながら、ストーリーを詳しく見ていきましょう。
黄泉がえりの仕組み
本作は黄泉がえり現象というSFの世界感を漂わせながらも、生きていることの不思議さ愛しさを感じさせます。
劇中に描かれた黄泉がえりの意味や仕組みを紐解くことで、人々の想いに触れることが出来るのではないでしょうか。
黄泉がえりの意味
死んだ人が黄泉(よみ)から帰って来るという意味。
熊本市およびその周辺で突如発生する、死んだはずの人が蘇ってくるという超常現象。
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/黄泉がえり
つまり、あの世からこの世に帰ってくることを劇中では「黄泉がえり」と呼んでいます。
通常ならただの噂と流されることですが、厚生労働省の川田平太が調査に来るとなると、ただならぬリアル感が劇中に増していくようです。
黄泉がえりの仕組み
劇中の黄泉がえりは亡くなった全ての人に起こる現象ではなく、いくつかの条件が重なった時に無条件に起こっていました。
- 阿蘇山のクレーターの圏内でのみ起こる
- 遺体または遺体の一部がクレーター圏内にあること
- 死んだ人に逢いたいと願う人がいること
- 黄泉がえりは一過性のもの
これらの条件を満たしている場合のみに黄泉がえりは起こるのです。
人体に感じられない程度の重力異常
原因はクレーターより発せられるエネルギー活動によるもの
引用元:黄泉がえり/配給会社:東宝
劇中ではこのように紹介され、黄泉がえりの重要なスポットが阿蘇山であることが描かれています。
実際に阿蘇山には多くのパワースポットがあるといわれ、不思議な言い伝えが点在している場所です。
本作の舞台となったのも納得の場所といえるでしょう。
黄泉がえりは良いことばかりではない
死んだ人が生きかえれば、逢いたいと願っていた人たちにとっては幸せなことです。
しかし、人の死もまた自然の流れなのではないでしょうか…。
残された者たちにとって黄泉がえりは良いことばかりではない、という事も劇中にはしっかり描かれています。
死んだ人が黄泉がえってくりゃ、大半の人が幸せでしょうけど、中には僕みたいな人間もいるんです。
引用元:黄泉がえり/配給会社:東宝
このラーメン屋で働く英也の言葉からは、黄泉がえりが与える影響を感じます。
今大切にしている相手、その相手が以前大切にしていた相手、そこでの人間関係は生きている者にとってとても複雑なのです。
そして、本作のラストで平太がぶつかっていた疑問…。
黄泉がえりは大切な人を2回失うことになるのです。
それでも逢いたいと想うのか、と監督は観る者に問いかけます。
描かれていた葵の想い
竹内結子が演じた葵は、俊介を愛する気持ちと整理をつけ前に進もうという気持ちの中で大きく揺れていたのではないでしょうか。