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映画「いなくなれ、群青」では、七草が階段島で真辺と再会したことから次々と謎が明かになっていきます。
一見するとミステリーの様ですが、本質は別のところにあると気づくはずです。
相手を想う気持ち、そして自分と向き合うことの大切さ。それらを七草と真辺を通して私達に痛いくらい訴えかけてきます。
階段島と魔女の正体、そして捨てられた人とは一体何なのか。最後に辿り着いた答えは?
そんな疑問点を考察しながら、作品のメッセージを紐解いていきます。
階段島の正体
階段島は捨てられた人が行きつくといわれている孤島です。
「階段」を島の名前につけた意味を考えることで、この映画の大枠を知ることができます。
階段の意味
島の中で階段があるのは1カ所。魔女の家へと続く果てしなく長い階段です。
階段は子どもから大人へと成長することの比喩でもしばしば用いられます。階段島の階段はまさしく「大人への階段」を意味していました。
そんな階段を捨てられた人である島民は登りきれないといいます。なぜ彼らには無理なのでしょうか。
島民が登りきれない理由
登っても登っても魔女の家にたどり着くことができないという階段。なぜみんな挫折してしまうのでしょうか。
その理由は、島民が捨てられた存在である点にあります。
大人になるために不要になった彼らは、現実の世界へ行く権利を持っていません。だから永遠に魔女の家を目にすることはできないのです。
では逆に階段を登りきるにはどうしたらいいのでしょうか。それは自分の存在を受け入れること。
人間は自分の嫌な部分を直視しようとしません。そんな経験は誰にでもあるはずです。
自分と向き合うことは口でいうほど簡単ではありません。自分の一部を捨てた人もやはり自分と向き合えなかったのでしょう。
だから島民がその存在を受け入れられる可能性はかなり低く、階段を登ることができないのです。
階段島の役割
島民はみな階段島の生活に不満を持っていません。逃げ出す人もいないし平和です。ですが彼らは葬り去られた様な存在といえます。
必要とされないものに存在価値は無いとするならば、捨てられた人である彼らが存在する意味はありません。
つまり階段島は行き場のない人々が集まる墓場の役割を担っているのではないでしょうか。
魔女の正体
なぜ魔女が階段島に存在し、管理しているのかはこの作品の謎の一つです。
この謎を解くためにはまず「魔女とは何か」を知ることが必要になってきます。
魔女とは何か
魔女のイメージといえば、煮えたぎった鍋で草や虫などをスープにしている姿を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。