真辺が自分のせいで理想主義を捨てたという真実を知った七草。映画のタイトルが彼の答えそのものになっているようです。
それにしても群青に対して「いなくなれ」という表現をするのは不思議な感じがします。
群青は夜空の色を指していますが、もっと深く掘り下げると別の意味で使っていることが分かるはずです。
七草はこの言葉にどのような意味を込めたのでしょうか。まずは夜空に浮かぶピストルスターの解説から始めたいと思います。
ピストルスターとは
ピストルスターは非常に強い輝きを放っているにも関わらず地球から見ることができない星です。
そのピストルスターを、眩しいくらい輝いている真辺の理想主義に見立てています。
ピストルスターが地球から見えない理由は、宇宙空間に漂う無数のチリが光を遮っているからです。
このチリが漂う宇宙は私達側から見ると群青に見えます。
群青は七草自身
チリの群れである群青が邪魔しなければピストルスターの輝きは地球に届きます。
言い換えれば真辺の理想主義を妨害している要因を取り除けば、彼女は本来の輝きを放つのです。ではその要因とは何か。そう、七草の存在です。
真辺が理想主義を捨てたきっかけは七草との再会でした。七草と会わなければ彼女は理想主義を現実の世界で貫いていたでしょう。
ですから「いなくなれ」とは真辺から輝きを奪った自分自身に向けた言葉だったのです。
しかし自分に向けて「いなくなれ」というのは少々違和感があります。これは七草が自分と真辺を客観的に見た結果なのでしょう。
一歩下がって物事を静観できる七草は、ピストルスター(真辺)の光を奪っている群青(自分)に「いなくなれ」と言ったことになります。
そして言葉通り、七草は真辺だけ現実の世界へ戻しました。
真実を知った七草と真辺が辿り着く答え
七草の悲観主義を、真辺は優しさと解釈していました。逆に真辺の理想主義を「譲れないもの」とした七草。
捨てた自分の一部は、相手からしてみれば大切な存在でした。自分が欠点だと思った部分が、他人からみれば長所だったりするのです。
また欠点やコンプレックスが成長の原動力になることもあります。だとしたら捨てるのはもったいないです。
良いところも悪いところも全て引っくるめて自分は形成されているのだと、七草と真辺はお互いを見て思ったはず。
自分自身と真摯に向き合うことの重要性に、2人は答えを見出したのではないでしょうか。