出演者に選ばれたのが長きに渡ってマフィア映画を彩った70歳代の大御所俳優だったことも、時代の終わりを匂わせていると考えられます。
シーランは私達の姿を表す
少し開けられたドアの奥から、物悲しそうなシーランが座っています。
わざわざ私達に「見てくれ」といっているようなこの演出をどう受け止めればいいでしょうか。
老いぼれたシーランの姿は、今までの彼の行いの結果です。言われるがまま仕事をこなしてきたロボットのような人生。
その成れの果てはこんな人間になってしまうのだという悪い見本の役割を果たしているのかもしれません。
そんなシーランを意図的に見せて、世の中にいる「シーランのように生きている人間」に忠告していると考えられます。
「あなたもシーランと同類ですよ」という声が聞こえてきそうな印象的なシーンです。
タイトルの意味
映画のタイトルになっている「アイリッシュマン」はシーランのニックネームです。
シーランがアイルランド人だからといって、それが呼び名になるのはなぜなのでしょうか。
人種の壁
マフィアになるには、ある重要な条件があります。それはシチリア系であること。
マフィアの世界では血筋を重んじられ、マフィアのメンバーはある意味血統書つきなのです。
どれだけ素質があってもシチリアの血筋でなければ、シーランの様に汚い仕事を押し付けられる立場になります。
どう頑張っても部外者でしかないシーランへの皮肉が込められた「アイリッシュマン」がタイトルになっているのではないでしょうか。
男の生き様
「アイリッシュマン=シーラン」ならば、この作品はマフィア映画ではなくシーランの生き様を描いているとも考えられます。
マフィアはただの背景であって、タイトルも「シーラン」でもよかったのかもしれません。
監督はシーランを通して、多くの一般人も抱える可能性がある問題点を表現しているように見えます。
ではシーランと一般人に共通する問題点とは一体何なのか説明していきます。
誰もがシーランになりうる
周りのマフィアは死に、家族からも見放されたシーランには「一体何のために生きてきたのか」を考える時間を与えられたのではないでしょうか。
誰の人生を歩んできたのか
彼は戦争中、上司から捕虜の始末を言い渡された際も躊躇せず殺しました。
マフィアのヒットマンを仕事にしていた時も、任務を全うすればいいのだとしか考えていません。
他人の指示に対して自分で何も考えない彼のやり方は、自分の人生を歩んだといえるのでしょうか。
あなたもシーランになっているかも?
与えられた仕事を毎日こなすだけの社会人は多くいます。彼らは生活費を稼ぐため・家族を養うためにあくせく働くのです。
自分は自分の仕事をするだけ。それはシーランと何か違いがありますか?
シーランもお金を稼いで家族を幸せにするためだけにヒットマンを引き受けたのです。
ヒットマンと私達一般人の立場は異なっていますが、その本質はそれほど変わらないのではないでしょうか。
もし現在言われるがまま仕事をしているのなら、ゆくゆくは「誰の人生だったのか」を自問自答する日が来るかもしれません。
監督はマフィア映画の形をとりながら、実は私達に警鐘を鳴らしていたのです。