想念の力にはこのような思いも寄らぬ奇跡を起こす作用があり、それこそが同時に「運命」を乗り越える力になるのでしょう。
サリームの生き方
「光」の道を歩んだジャマール・ラティカとは対照的な生き方をしたのがサリームでした。
果たして彼はどのような運命を辿ったのでしょうか?
「俗なる闇」の象徴
「光」の象徴であるジャマールとラティカとは対照的に「俗なる闇」の象徴がサリームでした。
ラティカを組織に売り飛ばしたり、ナイフで頬に傷をつけたり、ジャマールの想いを知りながら彼女を強奪しようとします。
その事実を知ったジャマールからは完全に絶縁されてしまい、しかしながらギリギリの所でラティカには手を出しませんでした。
自らが招いた結果だとはいえ、何故彼はラティカだけ最後までは手を出さなかったのでしょうか?
弟への愛
サリームがラティカを最後の最後でアジトから逃がした理由、それは弟ジャマールへの想いからでした。
実際、彼はラティカを逃がす際にこう口にしています。
俺がしたことをどうか許してくれ。幸せになれ
引用:スラムドッグ$ミリオネア/配給会社:ギャガ
そう、彼の人生はどれだけ悪の道へ突き進んだとしても、弟ジャマールへの想いだけはずっと一貫してあったのです。
彼がやってきた数々の悪行はすべて弟への愛・想いありきで形成されており、故に彼は敢えて悪の道へ進んだともいえます。
少なくともラティカへの想い・愛はなかったはずです。列車で逃げるときに弟を優先しラティカを見捨てたときからずっと。
ただ、ラティカが弟にとって命よりも大切な生きる希望であることも分かっていました。
だからこそ、自己犠牲を覚悟の上で最後まで「悪」でありながら同時に弟への真っ直ぐな想いだけは貫いたのです。
そしてそれこそがサリームにとっての「運命」だったのではないでしょうか。
インド映画のお約束・ダンス
そんな「スラムドッグ$ミリオネア」の最後はダンスシーンで飾られます。
インド映画のお約束といえばこの美しきダンスであり、英国人からのインド映画へのオマージュではないでしょうか。
物語としてはジャマールがラティカとの愛を勝ち取り、群衆にとってのカタルシスという形で集約されているのです。
最後をダンスシーンで飾ることによって本作が美しい王道のインド映画をしっかり守り切った格好でありましょう。
「ヒーローになる」物語
「スラムドッグ$ミリオネア」はジャマールという一人の青年が「ヒーローになる」物語だったといえます。
どん底から始まった少年が社会全体を取り巻く数々の理不尽な現実に打ちのめされながら、それでも諦めずに前を向いて生きているのです。
そうして、「ヒーローになる」物語だからこそその生き様が現代を生きる我々の心とのシンクロを生み出すのでしょう。
ジャマールのように決して恵まれた生まれではなくても、必死に前を向いて一途に生き続ければ、その想念は具象化し「運命」となるのです。
大事なのはそれが成功するまで諦めずに粘れるか否かにかかっています。
人生が「神様」の示した言葉であるならば、その書き記された運命は自らの手で掴まなければなりません。
それは換言すれば実は誰しもがジャマールのようなヒーローになれる可能性を秘めているということでもあります。
ジャマールとは、そしてラティカとは正にそのような時代の生み出したヒーローとヒロインなのでしょう。
だからこそあらゆる国や時代を超え末永く愛される名作にまでなったのではないでしょうか。