「神曲」の中でダンテは詩人ウェルギリウスに導かれ地獄界・煉獄山を巡ります。
「神曲」で描かれている地獄界では、ダンテが実際に現実の世界で裏切り行為を受けた人物も罪人として登場します。
ウェルギリウスはキリストが誕生する前に生まれているので洗礼を受けておらず、自動的に地獄界で一番軽い罪にあたるの第一圏のリンボに入れられてしまいました。
そのためダンテはウェルギリウスとは一緒に天国界に足を踏み入れることができないため煉獄山の山頂で別れ、ダンテが生涯愛し続けたベアトリーチェと一緒に天国へ上がっていきます。
ベアトリーチェは実在した人物でダンテが幼い頃から恋心を抱いていた女性ですが、結ばれることなく24才の若さで亡くなってしまいます。
ダンテは煉獄山を登りながら懺悔をしている死者たちと交流し、ダンテ自身も浄められていきます。
そして天国界では聖人たちから教えを受け、議論を交わしながら頂点である至高天にたどり着きます。
至高天ではベアトリーチェに次いでフランス出身の聖ベルナールが案内役となります。
地獄から旅を続けさまざまな死者の姿を見て至高天に入ったダンテは、最後にこの世で最も大切なものは神からの愛であることを確信するのです。
原作者が魅了された「神曲」の地獄篇
原語版「神曲」の地獄篇は「Inferno(インフェルノ)」となっており、ダン・ブラウンは小説のタイトルを「神曲」の地獄篇のオリジナルタイトルからとったと思われます。
地獄篇からインスピレーションを受けた「インフェルノ」
Inferno(インフェルノ)はイタリア語で「地獄」という意味があり、作品はまさに「神曲」の地獄篇がそのままタイトルとして使われていることになります。
原作者であるダン・ブラウンは高校生だった頃に「神曲」を読破しましたが、すぐに「神曲」の世界とりわけ地獄篇に虜になったそうです。
そしてロバート・ラングドン教授のミステリーシリーズの中で地獄篇を絡ませた物語を書きたいとずっと考えていた、と語っています。
また洗礼堂に隠されていたデスマスクには手がかりとなる文章が書かれており、最後に「星」という言葉が使われています。
「神曲」の各章でも「星々を。」や「星々に。」のように「星」を使ったフレーズで締めくくられており、ここにも「神曲」との共通点をみることができます。
原作と違うシエナの行動
映画は小説「インフェルノ」がベースとなっていますが、ラストシーンのシエナの行動が原作とは大きく違う点が注目を浴びました。
ラストシーンが全く違う2つの「インフェルノ」
同じタイトルを持つ映画と小説「インフェルノ」ですが、ラストシーンの設定が大きく異なっています。
原作ではラングドン教授とシエナがイスタンブールで再会した時にはすでにウイルスが拡散されていました。
世界中の人類がウイルスに感染してしまうという悲劇的なラストを迎えます。
小説で描かれているゾブリストが生んだウイルスは感染者の3人に1人が生殖能力を失くしてしまうというものです。
原作では全人類が感染してしまうので確実に1/3の人間は子孫が残せなくなります。また子どもが生まれたとしても1/3の確率で生殖能力が失われるという内容になっています。
拡散されてしまったウイルスをどうすることもできず、恐ろしい不安を残したまま物語は幕を閉じます。