そしてアニメの群集や通行人・いわゆるモブキャラにもこだわりを見せます。基本は背景なので普通のアニメでは没個性化して描かれるものです。
しかし『この世界の片隅に』では当時の写真からどのような人が実際にそこにいたのか?と想像力を働かせて1人1人が丁寧に描かれました。
つまりこの映画では背景のモブキャラまでもが実在した広島市内の本物の市民として表現されているのです。
片渕監督のこの試みの原動力にはリアリズムへのこだわりよりも原爆の犠牲者に対する哀悼の意があったのかもしれません。
この視点からもう一度映画を観なおすと、よりこの物語世界を新鮮に感じられるはずです。
みずみずしさの元になったショートレンジの仮現運動
大体のアニメ映画には1秒間に24コマの絵がふくまれています。すべて静止画ですが速く動かすことで動いているような錯覚がうまれます。
アニメや心理学の世界ではこれを「仮現運動」といいます。しかし1秒間に24コマを詰め込み続けて90分の作品を作るのは至難の業です。
そこで所々で「中抜き」をします。文字通り動作の中間を作画しないことであり、良くいえばスピード感を出す技法といえます。
片渕監督はこれを「ロングレンジ」の仮現運動と呼んでいます。そして彼はこの映画では逆の「ショートレンジ」の仮現運動を多用しました。
それは中抜きをしない技法です。日常の何気ない細かい動きでも24コマの作画枚数を保持することで動きにリアリティを与えました。
このショートレンジの仮現運動をアニメ全編に使うことは、ディテールにこだわる日本のアニメ業界でもまれなことでした。
「この世界の片隅に」のキャラクターがみずみずしい実在感を持っていたのは、この困難で画期的な作画アプローチによるところが大きいはずです。
何をアニメとして描くのかという着眼点の違い
なぜ『この世界の片隅に』は多くの人の心をつかんで離さないのでしょうか。それは戦争を徹底して庶民目線から描いているからかもしれません。
同じように原爆投下を描いたアニメ映画『ホタルの墓』や『はだしのゲン』では過酷な戦争被害にスポットライトが当てられます。
しかしこの映画では原爆投下のショッキングな描写はありません。爆心地から離れた呉市にいるすずたちを通して、さりげなく描かれるだけです。
『この世界の片隅に』が戦争アニメとしてみずみずしいのはタイトル通りにすずの回りの小世界に絞ったユニークな切り取り方にもあるでしょう。
それによって戦争へのメッセージ性は失われました。しかしそこに穴を開けることで観る人それぞれに考える余地を与えたといえるでしょう。
すずのぼんやりした世界観に合うアニメ表現
すずには画才があり、作中では幾度も彼女の描いた絵や漫画が登場します。そしてそこには一工夫が入ります。
すずの描いたばかりの絵がそのまま映画の背景になったり、戦闘機の飛び交う空がそれを見上げるすずの絵筆を加えたような模様になったり。
戦時中の一市民の日常を描く際にどうしても暗くなりがちなストーリー展開。
その中で、すずの空想的な絵が入ることによって暗いだけではない色彩や叙情性に富んだ世界観を表現できているといえるでしょう。
また、この映画はすべてがすずの空想だと読み取れる内容にもなっています。ぼんやりしたすずは現実と夢想が混じった世界に生きているのです。
そのため原爆投下でさえ彼女の妄想なのではないかと思わされるほどでした。そんな作風にはやはり実写よりもアニメの方が適しています。
すずという不思議少女のぼんやりした世界観は、ほのぼのとしたアニメだからこそ存分に発揮できたといえるのではないでしょうか。