一体何がフーヴァー一家を笑顔にさせたのでしょうか?
「家族になれた」こと
彼女がコンテストを出禁になっても笑顔でいられる理由、それはフーヴァー一家が「家族になれた」からです。
フーヴァー一家はコンテスト出場の旅に出るまで自分と向き合わず他者も思いやれない連中でした。
それがこのコンテスト出場でやっとバラバラな家庭が紆余曲折の末一つにまとまることが出来たのです。
大事な一人娘を何としてでもコンテストに出場させたい、一家の中にあったのはその熱意でありました。
そしてその一点において誰も異論がなかったからこそ、それが共通の目標となり家族になれたのです。
苦あれば楽あり
そしてこのドタバタ珍道中に込められた最大の教訓、それは「苦あれば楽あり」です。
本当に楽しいこと、本当に嬉しいこと、笑顔になれることはその裏の苦しさや痛みがないと得られません。
前半フーヴァー一家が自由を謳歌しているようで全く楽しそうじゃなかったのは苦しみや痛みから逃げていたからです。
人間本当に必要なもの、自身が何としてでも成長したいなら対価を払っての挫折や困難は必須になります。
フーヴァー一家もこの旅を通してそのことを骨身にこたえる程に感じたからこそ、正真正銘の笑顔なのでしょう。
リトル・ミス・サンシャインの意味
こうして見ていくと、タイトルにある「リトル・ミス・サンシャイン」の意味も分かります。
本作における「リトル・ミス・サンシャイン」とは即ちオリーヴ自身ではないでしょうか。
たとえ負け戦になると分かっていても、怖くてもそこから逃げず立ち向かい挑み続けること。
そうして戦い続ける人は自然と輝く、正に太陽のような存在なのです。
だから結果自体は「負け」であってもその精神までを誰も「負け」扱いには出来ないししてはなりません。
祖父もいっていたように、本当の負け犬とは挑戦することすら恐れている人達です。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
映画「リトル・ミス・サンシャイン」は決して上品ではなくスタートラインは最低でした。
しかし、そんな最低からでも自分に負けず、他者を思いやり挑戦を続けることで最高のコメディとなりました。
何より、シリアスに描いても十分に盛り上がる話をコメディであっけらかんと見せているのが最大の魅力です。
それは今中々信じるものが見つからず自信が持てないでいる現代社会の人々への心強いメッセージではないでしょうか。
確かに人生努力したからといってどうにもままならない現実は存在しますし、世の中決して甘くはありません。
しかし、そんな中でも挫けず生きていけば、フーヴァー一家のようにいつか心から笑える日は必ずやって来ます。