原典でも本作同様無実の一般人達が無残にも銃撃隊と騎兵隊によって次々殺されてしまいます。
しかし、そんな中で撃たれ死んだ母の乳母車だけが落下していき、無事に生き残るのです。
なのでここはまずシンプルにオデッサの階段へのオマージュを解釈の一つとして立てるのが妥当でしょう。
大人達が守るべき者
しかし、オデッサの階段と本作では状況が違います。
オデッサの階段では蹂躙される一般人の無力さというテーマの象徴として皮肉にも乳母車だけが生き延びたのです。
一方「アンタッチャブル」の銃撃戦はネス達とマフィア達の濃密な逃走劇であり、人間関係も非常に圧縮されています。
故にラストカットではその赤ん坊を滑り込んで止めに入り救う者、そして乳母車めがけて銃を撃つ者も居るのです。
本作の乳母車はそうした穢れを知った大人達と穢れを全く知らない純真な赤ん坊の対比ではないでしょうか。
乳母車がなくてもこの銃撃戦は成立しますが、乳母車がそこで「ネス達が守るべきもの」の役割になっているのです。
カポネの涙と笑い
クライマックスでとうとうカポネは脱税容疑をかけられ裁判となりますが、ここでオペラ「道化師」が流れます。
その道化師は「衣装をつけろ」と共に狂気に飲まれてしまい、とうとう妻を殺害してしまうのです。
カポネが涙を流したのはその道化師の狂気・情念が自分と通ずるものがあり、思わず共感してしまったのでしょう。
そしてまた、彼は刺客を放ってネスの右腕だったマローン殺害に成功し、笑みまで浮かべています。
カポネはどれだけ追い込まれた状況でもこのように泣きと笑いが同居する道化師そのものではないでしょうか。
王道のヒーロー物語
「アンタッチャブル」はギャング映画の中では凄くストレートにヒーローと悪の対決をやり通した作品といえます。
勿論組織戦が基本にあるとはいえ、中心にあるのはシカゴに救ったカポネという巨悪に立ち向かうネスです。
組織同士の抗争になると話が複雑になりがちですが、本作ではその複雑さを取っ払いシンプルに仕上げています。
仲間達が殺されていっても最後まで希望を失わず戦い続けたネスと最後まで奪うことしかしなかったカポネ。
この二人のコントラストが中心にあればこそ、本作は数あるギャング映画の中でも一際輝きを放つのではないでしょうか。
数々解釈を書きましたが、本作最大の魅力は奇を衒わずシンプルな良さで勝負していることです。
だからこそ今の時代になってもギャング映画の金字塔の一つとして輝きを放ち続けているのではないでしょうか。