そのためか、瀬戸に恋愛相談をされた時も効率を持ち出すなど、なんでも受験と同じように考える節があります。
そういった、何事も合理的に考える性格なせいで、部活を嫌っているように見えるのではないでしょうか。
内海は内海なりに考えている
内海は合理的な思考から部活や友人とのかかわりを避けているように見えます。
しかし、そんな達観した考えだけで川辺に座っているわけではありません。
内海は内海なりに、自分の青春について考えていました。
それは
この川でヒマを潰すだけの青春があってもええんちゃうんか
引用:セトウツミ/ 配給会社:ブロードメディア・スタジオ
という心の声からもわかります。
こういった考え方は理解できる反面、周囲とうまくかかわれない言い訳にも取ることができます。
そう考えると、内海は自分の性格を部活をしない青春もあると考えることで自分を納得させようとしているようにも見えてきます。
夏休みですら川辺に行く二人
二人が川辺に来るようになった原因の多くは学校での友人関係や恋愛でした。
しかし、それだけが原因なら毎日川辺でなくてもいいはずです。どちらかの家に行ってもなにもおかしくありません。
それなのに彼らは寒い日も暑い日も川辺に行っています。夏休み中ですら二人が会うのは川辺です。これはなぜなのでしょうか。
その理由は二人の家庭環境にあります。
問題のある家庭環境
二人があくまで川辺にいる理由。それは家にいたくないという気持ちがあるからではないでしょうか。
作中で少しづつ明らかにされていますが、彼らの家庭はかなり大きな問題を抱えているように見えます。
特に目立つのは瀬戸ですが、内海の家はもしかするともっと大変な家庭かもしれません。
内海家はネグレクトの可能性も?
わかりやすく問題のある瀬戸家と違って、内海家は一見、教育に厳しいだけで問題のない家庭のようにも見えます。
また、瀬戸の
親が金持ち
引用:セトウツミ/ 配給会社:ブロードメディア・スタジオ
という言葉から、裕福であることも読み取ることが可能です。
しかし、内海の様子をよく見ていると、かなり家庭に問題があるように思えます。
実際、瀬戸が
親うるさいんちゃうん?
晩飯ないん?いつも?
引用:セトウツミ/ 配給会社:ブロードメディア・スタジオ
という言葉をかけていました。
実はこの映画の原作マンガを見るとわかるのですが瀬戸は父親から暴力を受けています。また食事も与えられないことが多いようです。
こういった家庭環境が内海が川辺で時間を潰すようになった原因だと考えられます。
夏休みでも居場所がないことは変わらない
瀬戸は両親の離婚、内海はネグレクトというようにそれぞれ家庭に問題を抱えています。
たんに映画を見ているだけだと、なぜ彼らが夏休みまで川辺に集まっているのかわかりません。ただの映画上の演出だと思ってしまうでしょう。
しかし、彼らがあくまで川辺にいるのは他に居場所がないからです。
それは当然夏休みでも変わりません。それが彼らが夏休みでも川辺にいる理由なのでしょう。
この映画の最初から最後まで感じられる切ない感じは、彼らのこういった家庭環境からにじみ出ているのかもしれません。