加藤にしたって若頭時代に上から押さえつけられてきた反動がトップに立って出ただけです。
その意味で新しく立ち上がった山王会のトップは石原と加藤には過ぎた器でした。
強大な力には相応の代償やリスクがつきもの、それを分からなかったら簡単に身を滅ぼします。
関東VS関西の意図
さて、もう一つの見所として花菱会と木村組の関東VS関西のやり取りも目立ちます。
一体あの関東と関西のやり取りにはどんな意味があったのでしょうか?
「静」の大友「動」の西野
一番象徴的な大友と西野の江戸っ子口調VS関西弁での罵詈雑言の応酬、正に言葉の暴力です。
「この野郎!」と「~じゃワレ!」の対比ですが、同時に二人は「静」と「動」の対比でもあります。
「アウトレイジビヨンド」における大友は淡々と目的を遂行していく「静」の存在です。
逆に西野は「動」の部分を担い、相手の懐に入って本質を見抜き的確にいい表しています。
山王会が崩落していくことや片岡という人間の本性を直感ですら見抜いているのです。
西田敏行という役者の魅力も相俟って大友といいアクセントを織りなす存在感を放ちました。
手が出ない迫力
そうした「静」と「動」の対比により、このシーンが手は出ないのに迫力満点の仕上がりとなっています。
ここに映画の醍醐味が感じられ、かつての日本映画はこのように台詞と佇まいで空気を作っていました。
ややローアングルで俯き斜めを見ながらのショットが余計にそれを感じさせるのです。
手も足も出ないのに、言葉と表情だけで凄まじいテンションがそこに生まれ映画の「美」が感じられます。
ユーモア溢れる暴力描写
前作ほどではないものの、本作も暴力描写が非常にユーモアとセンスに溢れています。
特に舟木の部下が頭を電動ドリルでぶち抜かれる所や石原が剛速球を延々ぶつけられ死ぬシーンは必見です。
誰でも一度は想像しそうなものですが、それを面白く見せてしまう所に監督独自のユーモアを感じます。
こうした笑いのセンスに溢れる、しかしギリギリでギャグではない暴力描写も本作の面白味です。
絆・連帯という幻想の崩壊
「アウトレイジビヨンド」は前作から続く「復讐」をテーマとした作品でした。
それは同時に絆・連帯という3.11後に生じた妙な幻想へのアンチテーゼではないでしょうか。
面白いのは前作に続き絆・連帯を大事にした者達も他者を好き放題利用した人達も滅んでいる所です。
大友にしても最終的に誰にも与することなく自分の道をひたすら全うするだけの存在になりました。
そんな彼の生き様は人間最後に頼れるのは自分しかいない、ということなのかもしれません。
片岡はそこに気付かず他人にすり寄って依存しないと生きることは出来ませんでした。
我々も気をつけなければ簡単に第二・第三の片岡になってしまうのです。