国際化が進んだイタリアには、アフリカからの移民やその2世、3世、西アジアのイスラム圏からの移民が多くいます。
ムッソリーニはイタリア国民たちの中に、これらの移民たちに対する不満が大きいことを知り、徹底したナショナリズムを掲げました。
移民が多くいるとはいえ、ここはイタリアです。イタリアで一番多くいるのはイタリア人。
イタリア人第一主義を掲げることで、ムッソリーニは多くの支持を得ます。
実際にファシスト党が行った、選民思想(自国の民族が第一)は第二次世界大戦で体制を動かし、結果としてユダヤ人差別が広がりました。
ムッソリーニはこれを利用し、現代でも支持を得たのです。
ブレない政治家
他を傷つけてでも、イタリアという国を守る・大事にするという姿勢は終始ブレません。
しかし現実の政治家たちは、さまざまな方向から圧力を受け、発言に統一性と信念が見えないため、ブレていると感じます。
その点において、ムッソリーニはブレないため国民からの支持を得ました。
これらの政治家としての能力は、まさに現代の政治家と対照的なものであり、国民はそれを求めているのです。
しかし恐ろしいのは、これは第二次世界大戦の際にも起きている現象であるということ。
過去を知る現代人が憎んでいるはずのヒトラーやムッソリーニのやり方は、現代でも通用するやり方なのです。
ムッソリーニの演説は名人級
ヒトラーは非常に演説が上手く、身振り手振り、話し方、声の強弱までかなり練習していたと言われています。
それを真横で見ていたのがムッソリーニです。本作の中でも、長い沈黙を作ったり、コミカルに政治を批判したりと名演説が飛び出ます。
初めて出演したTV番組で、冒頭長い沈黙を続けたシーンは、映画を観ている私たちにも記憶に残るシーンなのではないでしょうか。
その時点で映画観衆である私たちもムッソリーニの手のひらの上で転がされている、と言えます。
「どうしたの?」「何を話すの?忘れたの?」と関心を持った時点で、ムッソリーニが演説上手であることは認めざるを得ません。
これらを駆使して、映画内のイタリア国民だけでなく映画観衆も惹きつけました。
圧倒的なリーダー性
『帰ってきたヒトラー』といい『帰ってきたムッソリーニ』といい、『~帰ってきた』シリーズの登場人物のリーダー性は映像が示す通りです。
ファシズムを率いた二人がなぜ、現代に転生しても国民から支持されるのか。そこには圧倒的なリーダー性が関係しています。
イタリア第一主義
先述したように、ムッソリーニはイタリアをイタリア人のための国とすることを考えています。
この考え方は非常にシンプルで、受け入れるよりも先に「理解しやすい」のです。
しかもこれがイタリア中を歩いて回って聞いた上で判断したことなので、余計にイタリア国内で支持されました。
国のリーダーを決める際に、リーダーが何を考えているのかは非常に大事な要素です。
その点、イタリア(人)第一主義を掲げたムッソリーニが、イタリアで受け入れられるのは当然の結果でした。
朽ちた民主主義
戦中よりも発展したはずの現代の社会が、ムッソリーニによって論破されます。
投票していったい何になる。投票した政治家が何をするのか知りもせずに。選択に責任をとるリーダーが必要だ。
引用:帰ってきたムッソリーニ/配給会社:ヴィジョン・ディストリビューション
これはTV番組の会議室に初めて入ったときにムッソリーニの口から語られました。
国民による投票こそ民主主義の象徴なのですが、ムッソリーニの持論に反対できる人はいません。
つまり、一瞬にして民主主義が否定されたのです。
また民衆の中には、独裁政権を一部容認する声もありました。独裁には強いリーダーシップが必要です。
かつての凶悪な独裁者の能力が、現代で必要とされていることを象徴するシーンでした。
国民の潜在意識
映画を通して、最終的にカナレッティはムッソリーニという人物の危険性に気付きますが、大半の国民は支持をします。
ファシズムは国民の潜在意識にあった
引用:帰ってきたムッソリーニ/配給会社:ヴィジョン・ディストリビューション
ムッソリーニの犬殺しが判明したシーンの後、この言葉が映像として出されました。これは実際にムッソリーニが話した言葉です。