出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B001CW2HJW/?tag=cinema-notes-22
世界中から愛されるジャズ・ピアニスト、ビル・エヴァンス。日本にはとりわけ多くのファンがいます。
それはエヴァンスの演奏する世界が日本人の「侘び寂び」の世界に繋がり、共感を得やすいのかもしれません。
印象派の絵画のように。
ジャズピアノのショパンとも称されるその繊細でリリカルでロマンチックな旋律は、世界中の多くのファンを魅了して止みません、
すでに多くの評伝が書かれている彼の51年の生涯についてはかなり細かい事情まで知られているところです。
本作(原題:Time Remembered: Life & Music of Bill Evans )は、彼の人生を貴重な映像とインタビューで綴ったドキュメンタリー。
ブルース・スピーゲル監督が8年もの歳月を掛け、40人以上の関係者にインタビューを敢行、丁寧にエヴァンスの人生を追っています。
そのリリカルな音の影には想像を絶する人生があったことが見事に浮かび上がって来るのです。
本作は海外では数多くの賞を獲得。日本ではビル・エヴァンス生誕90周年を記念して公開されました。
ジャズ界唯一無二のピアニストとして称賛された栄光と釣り合わない(と思われる)51年の生涯。
エヴァンスは何を思って生きていたのでしょうか。
肉親やエヴァンスと共演したミュージシャンの語りを綴り重ねることで人となりを浮かび上がらせるのが本作のスタイルです。
本稿では、有名な「ファースト・トリオ」を組むに至る経過やドラッグに手を出してしまった事情などを考察して行きましょう。
クラシック音楽がベースに
ビル・エヴァンスは、かなり恵まれた家庭に生まれ、兄のハリーと共にクラシック音楽を学びました。
ドビュッシー、ラヴェルなどのクラシックに影響を受けた印象主義的な和音
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/ビル・エヴァンス
こうしたクラッシックの要素が彼のその後の音楽活動に大きな影響を与えたといえるでしょう。
さらにその後拳銃自殺してしまう幼い頃はピアノの先生でもあった兄ハリーから受けた影響も少なくなかっただろうと推測できます。
マイルス・デイヴィスとの出会い前後
“Everybody Digs Bill Evans”
当時のジャズにおけるピアノトリオという形式はピアノがリーダーで、曲をリードする立場。
ベースとドラムスはいわゆるサイドメン・リズムセクションとして位置づけられていました。
初のリーダーアルバム(トリオ)では、ワンマンバンド・バド・パウエルの影響を強く感じさせるものでした。
2枚目のリーダーアルバム”Everybody Digs Bill Evans”では、翌年に結成する「ファースト・トリオ」での演奏の萌芽を感じさせています。
この映画でのインタビューでも多くのミュージシャンが、このアルバムの登場にノックアウトされたと証言。
何故でしょうか。それはこのアルバムの曲によってはこれまで聴いたことのないジャズの響きがあったからです。
特にバラードの演奏では次の時代のエヴァンスを予感させるものがありました。
そこには、ピアノが引っ張るピアノ・トリオの構成に大きな変化の兆しが現れていたと聴き取ることが出来ます。
しかし、このアルバムでは、サイドメンたちは、まだエヴァンスの解釈を理解するまでには至っていなかったのです。
”Kind of Blue”
エヴァンスには人生における二つの決定的な出会いがありました。その一人がマイルス・デイヴィスです。
当時は「ハードバップ」全盛。
革新家のマイルスは、これまでのジャズのアドリブの典型的手法であった「コード奏法」を「モード奏法」へと発展させようとしていました。
そこで集められたのがビル・エヴァンスだったのです。エヴァンスも「モード奏法」に可能性を見出していたのです。
このアルバムのメンバーには、「モード奏法」を発展させ、さらに「フリー・ジャズ」へと進むジョン・コルトレーンも参加しています。