さらに、その頑固一徹、自分が正しいと思ったら譲らない職人気質にも惚れ込んだのではないでしょうか。
「彼を信じよう」「彼となら奇跡は起こせる」。キャロルはそう確信したに違いないのです。
ケンにスローダウンを命じたのは何故か
ついにやってきた1966年ル・マン24時間耐久レース。
フォードは王者フェラーリを下し、1位から3位までを独占してフィニッシュすることが確実になりました。
ところが、ぶっちぎりでチェッカーを受けるはずのケンにビーブ監督から3台並んでにゴールさせろ、との命令が下ります。
この命令には「販売至上主義」が目的でレースに参加したフォード・モーターの企業としての思惑が如実に現れています。
そして組織社会に馴染もうとしないケンに対するチーム監督(上級副社長)の嫌がらせ的なナワもあったとみることも出来ます。
さらにヒーブのフォード社長に対する功名心も感じ取れるのです。この「スーツ組」の感覚はケンには理解できないことでしょう。
ケンの思いとフォード・モーターの立場
1位ではなかったケンの思い
結局ケンはスローダウンして3台同時のフィニッシュの演出に参加したのです。
しかし同時にゴールしたはずが、ルール上ケンは2位に。
一瞬顔色が変わるケンでしたが、詫びるキャロルに対し、いつもなら激昂するケンはそこにはいませんでした。
ケンは客席からフェラーリの御大エンツォ・フェラーリに敬意を込めた挨拶を受けます。ケンの顔に満足の笑顔が。
キャロル・シェルビーにル・マンに連れてきてもらって、ここまでやれただけで十分だったのでしょう。
一度死んだ男がキャロルという男に再生してもらえたのです。感謝以外の何があるでしょう。優勝は来年にとっておくさ。
そんな満足した表情がケンの顔から伺えるのです。そしてキャロルの肩に手を回し、さっそく次作のエンジンの話をし始めるのでした。
フォード・モーターの焦り
フォードは元来大衆車メーカーで、戦後生まれの若い世代からが注目するようなカッコいいスポーツカーを持っていませんでした。
開発責任者アイカコッカは、レースに出て活躍し、フォードはカッコいいという戦略の元にスタイリッシュなスポーツカーを作ることを提言。
それに基づいて「マスタング」が誕生したのです。
企業としてのレースと個人の思いのズレ
フォードにとって欧州車のスポーツカーのトップに君臨するフェラーリを有名なル・マンで打ち破る。
そして、その絶大な宣伝効果でマスタングなどのスポーツカーを売りまくりたい。
先述のように、そうした販売戦略に乗ってのレース参加だったのです。
だから、3台並んでのゴールシーンはまたとないPRのチャンス。
一方、激怒したキャロルもフォードの世話になっている企業人の端くれとして、生きていかなくてはなりません。
これまでキャロルに世話になったケンにしてみれば、板挟みとなった彼の辛い気持ちも理解できたのでしょう。