なぜなら「人を呪わば穴二つ」で復讐に身を窶すと終わりなき修羅でしかなくなるからです。
上記した大友の開き直った無茶とは本作においては正にこの花菱会への復讐にあります。
それだけ覚悟をもって描かないと難しい動機なのです。
自己犠牲のかっこ悪さ
大友の命がけの復讐は全て張会長を心の親分として慕う忠義心から来るものでした。
そう、いってみれば今時流行りもしない自己犠牲を描いてみせたわけです。
しかし大友の自己犠牲は賛美されてはおらず、復讐と一体化し「かっこ悪さ」となっています。
また北野監督自身がそれを実行して様になる人だからこそ、それが可能となったのでしょう。
ラストシーンの意味
「アウトレイジ最終章」ラストカットは大友の自殺で飾られ、静かに終わりを告げました。
あのラストシーンにはどのような思いが込められていたのでしょうか?
戦友達との別れ
大友は最後連鎖する復讐の元凶として、けじめをつける形で終わりました。
その中には「その男、凶暴につき」「ソナチネ」で共演した白竜や大杉漣の姿もあります。
新規組で固めていた本シリーズにかつての常連キャストを呼んだのは別れを言うためでしょう。
ここは北野映画特有の現実と架空の間に存在する役の二重性という特徴が影響します。
大友の最期をライバルの白竜に看取って貰ったのもそのような運命めいたものが感じられます。
大杉漣演じる野村を頭だけ出して車で轢き殺したのも「ソナチネ」の構図から来たとすると納得です。
複雑な表情の真意
しかしながら、復讐を全て終えたはずの大友は全く晴れない表情のまま佇む姿が印象的でした。
どれだけ復讐をしても山王会も花菱会も決してなくならない現実を知っているからでしょう。
一作目「アウトレイジ」で自分が頑張れば頑張るほど仲間達はどんどん殺されていくのです。
二作目で抗争勃発を目論んだかつての後輩を殺しても結局花菱会がのさばっていくだけでした。
社会の中でしっかり位置付けられた組織に対して個人が出来ることは余りにも小さすぎます。
復讐を終わらせたところで現実は何も変わらない無常観に襲われたのでしょう。
その何ともいえない様々な思いが彼の心の中に渦巻いていたのではないでしょうか。