そうして自身の居場所のなさ、邪魔さを自ら悟った侘助はと再び家を離れようとします。
しかし一度ひびの入ってしまったものはそう簡単に直りません。
栄おばあちゃんの「死」は必要
現実で誰かの死が必要だなんてことはありません。
しかし小説や映画などではよく「物語的にこの人物は死ななければならない」ということが多々あります。
例えば対立する二人がいて間を取り持つもう一人がいる場合、対立する二人が和解したらこの間の一人は死ななければなりません。
これは、二人の和解を強く印象付けるために必要な「死」です。栄おばあちゃんの場合も、物語的に必要な死でした。
栄おばあちゃんを中心として完成している家族に侘助が家族として入るには、誰かが欠けなくてはなりません。
そしてその人物は侘助が家族に再び加わることに好意的な人物。
しかも侘助の帰宅でひびの入ってしまった家族の絆を修復できるほどの力をもつ人物でなければならないのです。
栄おばあちゃん以外にありえません。
硬い絆
監督がこの映画で描きたかったものは「絆」だったことは間違いありません。
そして家族が心を一つにしていく過程でどうしても栄おばあちゃんの死が必要だったのです。
朝顔の意味
作品中に幾度となく登場する朝顔が伏線であり「絆」を表していたことをご存知でしょうか。
朝顔は夏の花として定着していますから、季節感を出しているだけのように見えていたかもしれません。
しかし朝顔の花言葉は「硬い絆」です。
夏希の浴衣の柄が朝顔だったり、栄おばあちゃんが亡くなった日の朝顔がしぼんでるシーンが入っていたり。
監督はそんなこまかいところにまで伏線を張っていたのです。
この朝顔によって今の陣内家は絆が硬いか、または綻びが出てきているのかが分かります。
家族で囲む食卓
親戚みんなでご飯を食べるという一見当たり前の日常が家族の絆が硬いという証になっています。
侘助は最初この食卓の輪に入れず、一人でビールを飲んでいました。
それが栄おばあちゃんの死をきっかけに一致団結した陣内家では、除け者だった侘助も食卓を囲むようになります。
頑なだった侘助ももう反発している場合ではないと悟ったはずです。
陣内家の中心人物を失った悲しみを乗り越えて前進する彼らの姿は、栄おばあちゃんの死がなければ実現しなかったでしょう。