しかし彼の目標である敵幹部を殺して一人前になるという目標は達成出来ませんでした。

彼は結局加奈の力添えがなければ有名になることすらなく、個人では何も果たしていません。

純平の喪失

加奈は純平と待ち合わせの神社に行きますが、そこで現われたのは彼の幻でした。

彼女はここでもう純平が戻ってこない、即ち彼の死を感じ取り泣くのです。

行きずりとはいえ深く関わり愛した男一人すらまともに止められなかった。

その事実が加奈の無力さを表わしており、ただ行き場のない思いだけが残るのです。

そしてそれは同時にSNSという存在の限界・敗北でもありました。

SNSでは抑止力にならない

虚像の抑止力 沖縄・東京・ワシントン発 安全保障政策の新機軸

純平は最後まで加奈がSNSでやっていたことを知らないまま死ぬことになりました。

しかし、彼がそれを知って見たところで止めることが出来たわけでもないでしょう。

なぜならばSNSの「純平、考え直せ」は所詮本人のことをろくに知らない外野の言葉だからです。

SNSに投稿した人達は所詮加奈視点の二次情報しか知らず純平からの一次情報を得たのではありません。

そのような外野の言葉に一本筋の通った覚悟を決めた純平を揺るがす抑止力など存在しないのです。

ネットはあくまでネット、道具以上のものでしかなくそこから大事な情報は得られません。

情報は「量」ではなく「質」

情報生産者になる (ちくま新書)

こうして見ていくと、情報は「量」ではなく「質」が大事であることに気付かされます。

加奈が見誤ってしまったのは正しくここで、彼女はもっともっと純平と深く関わるべきだったのです。

唯一純平の現実を具体的に知っているのですから、SNSではなく彼女自身の体で止めるべきでした。

結局人間体を通して出るもの、体で覚えたこと以上に説得力のあるものは打ち出せません。

加奈には心から純平を愛し、体を重ねて純平と共に生きるという「質」のある情報がありました。

ならば、それを武器にして純平の覚悟に真正面からぶつかっていけば結果は違っていたでしょう。

アナログとデジタル

アナログの逆襲: 「ポストデジタル経済」へ、ビジネスや発想はこう変わる

ここまで見ると純平が「アナログ」の象徴、そして加奈が「デジタル」の象徴だと分かります。

純平は兎に角何をするにも一対一、肌身を用いてのぶつかり合いで人生を歩んできました。

一方の加奈は生身で触れ合わずともコミュニケーションが出来るSNSを知っています。

そんな正反対の者同士が愛し合い、しかし交わることなく悲しき末路を辿ることになりました。

これはどちらが大事というよりかはどちらにも一長一短があり、要は使い分けの問題です。

その上で本当に大事なことはアナログでしか得られないことを純平は身を以て証明しました。

決して彼の生き方は真似出来ませんが、同時に今のSNSありきな社会の本質を浮き彫りにしています。

そこに一石を投じた作品として本作を見てみるのも面白いのではないでしょうか。