すべては未成年の少女と性的関係になることへの恐れからきているはずです。
近藤が女子高生を強姦した中年男のTVニュースに驚愕したシーンは笑いを誘いながら、彼の本質を突くものでもあったでしょう。
映画版ラストの理由は恋にひときわ臆病だった近藤にあり
近藤のあきらへの拒絶感が大きすぎたため、映画版における恋愛は浅はかなものになったといえるでしょう。
それはほぼあきらの1人相撲になっていました。近藤はいつもそれにたじたじであり、ラブコメとしてより笑える作りになったといえます。
そしてこの点は映画版のラストシーンが独特のものになった理由にもなります。
近藤が最後にあきらの前に姿を見せたのは、原作・アニメにはなかった演出でした。
それは映画版の近藤があきらと距離をずっと置いてきたからこそ生まれたシーンではないでしょうか。
そのため最後に姿を見せた彼からはようやく彼女に恋心を開いたのかという印象を受けます。
その際、彼は店長から昇進する可能性を示唆してあきらを感心させますが、そこにもどこかカッコつけたいという下心が見えます。
映画版が最も2人の恋の始まりの可能性を残すラストになったのは、映画版の近藤が最も恋に臆病だったからだといえます。
さわやかなラブコメ映画にしたいことが読み取れる映画版ラスト
原作とアニメとの比較を交え、ラブコメ映画というポイントから映画版ラストを考えてゆきましょう。
ラブコメ映画として愛よりも夢を選んだ
映画版では原作やアニメよりも夢に強くフォーカスしていました。あきらの陸上、近藤の小説という夢が浮き上がるのです。
あきらは職場にまで押しかけたライバル・倉井の派手なパフォーマンスで火がつきます。
その後の親友との朝練のシーンはスタイリッシュなシークエンスになっており、映画最大のハイライトのになったといえるでしょう。
一方の近藤は執筆に熱を入れるあまり職場にまで自作の小説を持ってきて、店員の久保さんに読まれてしまいます。
このように2人の情熱にフォーカスしたことで、彼らの夢や希望が原作やアニメよりも浮き上がる結果になったのではないでしょうか。
その理由は映画ではラブコメ色を強めたかったからではないでしょうか。原作やアニメのように愛の色合いを強めればラブコメ感は弱まります。
基本ラブコメはさわやかなものなので映画では爽快な夢の方にシフトしたのではないでしょうか。
愛・夢・仕事すべてで可能性を残すラブコメ映画的ラスト
原作・アニメ・映画の3つすべてにおいて、彼の近藤の結末が違います。
原作のラストにおいて近藤は変化が最も少なかったといえるでしょう。ファミレス店長としての昇進話はただの噂であり、小説も発展途上のまま。
ただ明確な変化がなかったからこそ、あきらと過ごした短い時間が彼の精神面には大きな変化をもたらしたのではないかと訴えてきます。
アニメ版では近藤は小説をばしっと書き上げます。それによってあきらとの恋の雨宿りから完全に抜け出したことを印象づけました。
が、その一方で2人の恋はやはり互いにとってただの夢からの逃避でしかなかったのかという冷めた解釈をもさせます。
映画版では近藤の小説は未完のままです。そして最後に彼はあきらに会いにゆき自らの昇進の可能性を口にします。
その際、あきらと一緒にいた親友は2人の仲を認めるようにその場を離れました。