その証拠に京志郎は「俺を愛してよ!」などと甘えたことを言い、志乃にビンタされます。
本当に健全な関係として再スタートを切りたいなら、反省や謝罪などがあって然るべきです。
しかし、京志郎は最後まで自分が無自覚に人を振り回してきたことへの反省が全くありません。
それにも関わらずまた付き合って欲しいというのは虫の良すぎる話です。
あかりと別れたとも明言されてない以上、また同じことの繰り返しとなるでしょう。
偶然会った京志郎から逃げた理由
こうしてラストのキスの意味を考察すると、志乃が京志郎から逃げた意味もおのずと分かります。
上記を踏まえながらネタバレ含めて彼女の気持ちを中心に考察していきましょう。
逆戻りが怖かった
上記を踏まえるなら一番の理由はダメだった頃への逆戻りが怖かったからです。
京志郎のせいで散々振り回され、また自分も逆に京志郎を散々振り回しています。
流され体質を直しきってないのに京志郎を受けてもまた元の木阿弥となってしまうこと。
それこそが一番志乃が恐れていたことではないでしょうか。
だから彼女は「人を好きになるって最悪」だと述べているのです。
厳しくなれない自分が嫌
志乃の特徴として男に対して厳しくなれず、ついつい(体も含めて)赦してしまうことが挙げられます。
かつて正樹に「誰でもよかったくせに」といわれ、更にその言葉を京志郎にまでぶつけてしまうのです。
また抜け殻になって今度はバイト先の同僚川谷に体を赦してしまうことからもそれが窺えます。
そんなダメ男が依存してしまいやすい自分の特徴を変えきれないことが嫌だったのではないでしょうか。
逆戻りが怖いというのも突き詰めるとそういう原因を作ってる自分の性格にあるのですから。
京志郎は志乃の鏡像
そしてもう一つ、京志郎という人間性を突き詰めると志乃の鏡像であることに気付かされます。
京志郎も異性への共感力が高すぎて、女性の涙に弱く好きでもないのに受け入れてしまうのです。
だから京志郎という人間を通して志乃は無意識に自分の嫌な部分を見てたのではないでしょうか。
人間関係は鏡写しといいますが、二人の行動や思考は驚く程似通っているのです。
だから志乃は京志郎という自分の影を体現している人から逃げ出したのかもしれません。
人間、誰でも自分の嫌な面は見られたくないし見せたくも、そして見たくもないですから。
だからこそ志乃と京志郎は反発し合いながらも惹かれ合い、逃げ出したくもなるのです。
あかりの正体
京志郎が終盤まで引きずったあかりという女性についても考察してみましょう。
本編ではどこか謎めいた雰囲気さえありましたが、どのような女性だったのでしょうか?
毒親育ち
あかりはどこかクールな雰囲気を漂わせていますが、後半母子家庭育ちだったことが判明します。