大里化学でもそうでしたが、研究員らはヴィクターの手記により狂暴化した屍者に殺されていました。
そのような狂暴性の高いプログラムがフライデーにインストールされてしまったのです。
しかし、これは可能性としてはありえますが、あまり考えにくいといえます。
もしこれが正しいのであれば、フライデーの目は生者のものにならないはずですし、ハダリーの音波だって効果があるはずです。
そのため、この説はあくまで仮説の域から抜けることはなさそうです。
なぜワトソンは自ら手記を取り込んだのか?
ザ・ワンとの死闘を生き残ったワトソンは、自分の研究所で自らヴィクターの手記を取り込もうとします。
ここは急な展開であるため、観た人の中でも意見が分かれるところです。
仮説1:ヴィクターの手記を破棄する
まず考えられるのは、ヴィクターの手記を自分の中に封じることで破棄するという仮説です。
バーナビーやカラマーゾフは手記の破棄を望んでおり、一度身勝手な行動で大惨事を引き起こしたワトソンは今度こそ手記を破棄したのです。
これは理由も明確ですしストーリー上は納得がいきます。それにフライデーもワトソンは手記を自分の頭の中に封印したといっています。
物理的に破壊しなくていいのか疑問は残りますが、一番可能性が高いのはこのヴィクターの手記を破棄するためだといえます。
仮説2:自らフライデーに近づこうとした
死後の世界であればフライデーに会えると考えたワトソンが、自ら手記を取り込んでフライデーに会いに行ったのではないかという仮説です。
道中出会ったカラマーゾフは自ら屍者化して、兄やニコライに会いに行きました。それと同じことをワトソンもしたのです。
これもストーリー上は納得のいく仮説でしょう。
しかも、大里化学でフライデーが暴走したあとに、半死状態のワトソンは地獄のような場所でカラマーゾフやフライデーの姿を目にしています。
たとえ地獄であろうと、フライデーに会いたい一心で手記を取り込んだのです。
仮説3:自分の体を使って「魂」の証明を達成する
「ヴィクターの手記には魂を宿す力がある」というザ・ワンの説明を信じたワトソンが、自らその仮説を証明しようとしたのです。
科学者としての本能なのか、手記に心を奪われてしまったのかはわかりませんが、とにかく魂の証明をしたかったのではないでしょうか。
本作ではたびたび「魂はどこから来るのか?」といった話題が出てきます。しかし、この答えは最後まで誰にもわかりません。
だからこそ、最後の手がかりであるヴィクターの手記の取り込みを、ほかの誰でもない自らの肉体で行ったのです。
仮説4:自暴自棄になってしまった
可能性としては低いのですが、自暴自棄になってしまったという仮説も考えられます。
カラマーゾフやザ・ワンのいうとおり、フライデーの魂は帰ってこない…。
そのように考えたワトソンは、自ら手記を取り込むという形でその命を絶ったのです。
もしくは屍者技術へ手を染めてしまった、自らの過ちを償おうとしたのかもしれません。
エンドロールの語り手はいったい誰なのか?
本作のエンドロールでは、フライデーを演じた村瀬歩の声でモノローグが流れます。
しかし、作中のフライデーとは口調が異なるため、いったい誰なのかという論争が起きています。
仮説1:新しい魂のフライデーである
フライデーの口調がまったく異なるものになっていたため、手記解析で宿った新しい魂が目覚めて話し始めたのではないかという仮説です。
また、話している内容が魂をくれたワトソンへの感謝であることから、今までとは異なるフライデーである可能性が濃厚です。
それではいつ魂が宿ったのでしょうか?
直前のザ・ワンを倒すシーンでは自らの意思で協力していることから、このときには何かしら感情が芽生えていたと考えられます。