その後、再び屍者になってしまいますが、少しずつ魂が芽生えていったのではないかと思われます。
仮説2:かつての魂のフライデーである
死んでしまったフライデーの魂が語りかけているという仮説です。
この可能性は低くて説明も大変なのですが、こじつけていうなら魂はフライデーの肉体に宿っており、実は常に見続けていたというものです。
しかし、自我がないゆえに口調はおかしくなっているのです。
仮説3:そもそもフライデーではない
フライデーの声ではあったものの、本作の登場人物とは全く関係がなかったという仮説です。
それでは誰だったのでしょうか。この答えは伊藤計劃です。
ファンの間では彼の感謝の思いを、フライデーを通して伝えたかったのではないかといわれています。
もう少しわかりやすく説明すると、『屍者の帝国』を作り上げてくれてありがとうという円城への言葉だというのです。
当然、本作は伊藤が亡くなった後に作られているので彼のメッセージではないのすが、この考えには一種の妥当性とロマンチック性があります。
結局のところ、魂はどこから来るのか?
ワトソンとフライデーの目的は、「魂のありか」を見つけることでした。しかし、これに関しては最後の最後まで叶いません。
それでは彼らに代わって作中のヒントを整理しながら、「魂」がどこから来るのかを考察してみましょう。
論点1:魂の世界がある?
ザ・ワンは自分の目的である、嫁の魂を取り戻すために大規模な屍者技術を用います。
このときに魂が一つになれば、彼女の魂をハダリーに宿すことができると説明しています。
つまり、現実世界とは別に魂の世界があって、そこにいくつもの魂が住んでいると思われます。
論点2:魂の世界は複数ある?
エンドロール中のフライデーのモノローグにあるとおり、ワトソンの魂は別の言葉の世界へ行ってしまったと説明しています。
これは、フライデーは魂の世界にいてワトソンが別の魂の世界に行ってしまったと解釈すれば、魂の世界が複数あると考えることができます。
論点3:魂は体の中にある?
本作では人が亡くなったあとには21グラムだけ軽くなり、魂の重さは21グラムなのだという説明を何度もしています。
これを正とするなら、魂は人間に宿っていると考えることができます。しかし、その魂が脳なのか、心なのか、体なのかはわかっていません。
4年後の後日談は夢との決別なのか?
エンドロール後、わずかですがワトソンの後日談が描かれています。
そこには名探偵・ホームズとともに活躍するワトソンの姿、そしてその様子を遠くで見守るワトソンがいます。
解釈1:ワトソンに新しい命が宿ったという説明
手記を取り込んだワトソンの存否は誰もが気になるものです。そのアンサーとして、制作サイドはこの後日談を描いたと考えることができます。
しかもそれはワトソンに新しい魂が宿るという、「ヴィクターの手記」は正しかったという形で描かれました。
一方、フライデーにも新しい魂が宿り、今度はワトソンを見守る立場になっています。
当然、フライデーは生前の記憶がないため、ワトソンのことは知らないはず…。
それでも彼を追い続けるのは、もしかしたら記録係としての記憶が残っていたからなのかもしれません。
解釈2:伊藤のメッセージを最後にもう一度
これはメタ的な解釈になりますが、このシーンは亡くなった伊藤が円城をいつまでも見守っているよといっているように読み取れます。
もしくは、伊藤が彼岸から『屍者の帝国』を見たすべての人を見守っているよという感謝のメッセージだったのかもしれません。
冒頭にも説明したとおり、本作には円城の思いが詰まっており、それを映像化したと考えられます。
解釈3:夢の終わりと別れの挨拶なのでは?
最後にもう一つ重要になるのが、本作はパスティーシュになっていることです。
それぞれのキャラクターにはそれぞれの世界がある…。
つまり、ここで「屍者技術という夢はこれで終わり。みんな元の世界に戻りな」と最期の別れをしているのです。
そして、ここに本作のメインテーマである「魂はどこから来るのか」を照らし合わせると、ここではない別のどこかということも見えてきます。