アイデンティティが崩れる以前にそもそもアイデンティティすら存在していなかったのです。
皮肉なのはそんな彼が「忘却」という概念を皮肉めいた形で持たされてしまっていることでしょう。
彼に近い存在といえばアニメ「超電磁ロボ コン・バトラーV」のガルーダがこれに近いでしょうか。
どちらにしろ彼はあくまでもクローンの一人に過ぎないという現実の無残さに裏切られる点は共通しています。
テットへの反逆
そしてSF映画のお約束として、最終的に駒でしかなかったジャック49号(主人公)はテットへ反逆をかけます。
テットとしては想定外の出来事であり、ある種の自己犠牲という側面も含めて描かれているようです。
しかし、これって本当に”自己犠牲”なのでしょうか?そもそもオリジナルのジャック本人ではないというのに。
違います、これは自分達がかつて地球に対してやったことに対する責任を取っただけなのです。
どれだけジュリアとの記憶や感情を共有しても、あくまでも「駒の一人」に過ぎません。
侵略者から地球を守る英雄のつもりが逆に人類の侵略者だったのですから、寧ろ罪償いではないでしょうか。
どこか突き放すような冷淡さと共に迎えられるラストシーンが味気ないものとなったのもそれが理由です。
ヴィカが殺された原因
本作はSF映画でありながら、同時にラブロマンスの側面も兼ね備えていました。
その象徴がヴィカであり、ジャックに好意を寄せながら同時に妻のジュリアに嫉妬していました。
そんな彼女は攻撃型ドローンによって殺されてしまいます。ここではその原因を見てみましょう。
与えられた人格以上の感情を持ってしまった
ジャックのみならず実はヴィカもまた記憶を抹消されたクローンの一人でした。
彼女はサリーという上司の下で働いていながら、同時にジュリアに嫉妬していたのです。
これはサリーをはじめ人工知能からすれば想定外の行動であり、与えられた人格以上の感情となります。
それが行き過ぎると下手すれば任務にも支障が出かねず、邪魔されないとも限りません。
だからこそ危険がない内に殺してしまおうという考えだったのではないでしょうか。
真実に気付かれてしまう
上記した内容の何が一番危険かというと、ヴィカも下手すれば真相に気付く可能性があるということです。
ジャックにしてもヴィカにしても共通していたのは上の指示をただ聞いていただけではありません。
ヴィカがジャックとジュリアを「適切ではない」という報告をした時点でサリーはそう判断したのでしょう。
もしヴィカを野放しにしておけば、地球侵略という本来の目的が破綻しかねません。
真実を知ることは同時に本作においては死を意味する危険な行為であることと表裏一体です。
そのような怖さを強調したかったのではないでしょうか。
監視されている個人の「自由」
本作は極めて厳しい情報管理の下でクローン達の役割も決められており、「自由」がありません。
ジャックととジュリアの関係にしたって予め「仕組まれていた」ものです。
これは同時に現代社会が実は情報管理されており、どこにも「自由」がないことの裏返しではないでしょうか。
寧ろそのような逸脱した自由を手に入れることは管理社会の定石から外れることを意味してしまいます。
ヴィカはそういう意味でいうと自由を望みながらも手に出来なかった憐れな人形だったのかもしれません。