これは誰にも頼ることが出来ず自分で自分を満足させるしかない彼らの虚しさを表しています。
そうした痛さと切なさを伴っての自己充足感が2人の警官の人間性に奥行きを持たせているのです。
表面上笑っていてもどこか彼らの内面は満たされず、自分を好いてくれる女性の好意は気づきません。
彼らの行動心理はすべてがそのように自分の快楽ありきで構成されているのです。
衣装の着替え=公と私の変化
もう1つ、心理面での変化は彼らの衣装にも現れており、2人は警官=公と私服=私の二面性を持っています。
世間からは立派と称えられる警察官でありながら、仕事を離れて私服になると急に男の情けなさが炸裂するのです。
こうした衣装の着替えによる公私の変化もまた彼らのキャラクター性をより際立たせるアクセントになっています。
これは男に凛々しいかっこよさを必ずしも求められなくなった90年代の時代性を象徴したものでもあるでしょうか。
2人の違いと共通点
その上で2人が違っていたのはその結末でした。223号は誕生日メッセージと引き換えに金髪女と別れました。
一方の663号は警官をやめて店員の姿となってフェイとの付き合いを考える方向に行っています。
ただ、フェイが元彼女と同じキャビンアテンダントになったことは663号の失恋を予言しているようでもありますが…。
しかし、共通しているのは常に次を求めて1か所には留まらないという流動性です。
これは返還前の様々なものが入っては出ていくという流れを繰り返していた香港の特徴とも重なっています。
彼らが心底まで感傷的になりきらないのもこの流動性によって作られた心理があるからではないでしょうか。
移ろいゆく激動の時代
本作はこのように4人の男女の出会いとすれ違い様の恋、そして香港という街の流動性を表現しています。
この切り取られた画面に真に表現されていたのは90年代がいかなる時代であったかを伝えてくれるのです。
それはごった煮の猥雑さと次々移ろいゆく激動の時代であったことの証明ではないでしょうか。
バブルがはじけて不況に陥り、絶対的な価値観がなくなって様々な変化が急速に訪れるようになりました。
何が正しくて間違いなのかは1人1人が自分たちの手足を使って掴んでいかないといけない。
その過渡期にあった若者文化が凄く的確かつスマートに画面を通して表現されているのです。
まとめ
本作を通して表現された独特の世界観とストーリーは時代を超えて通ずるものがあるのではないでしょうか。
何が正しくて間違いなのかもわからず、刹那的な消費文化を繰り返しながら何かを掴もうとする4人の男女たち。
それはいつの時代のどの国においても起こりうる永遠の課題ともいえます。
2人の警官と孤独を抱えた女性たちの生き様が危うさを孕んでいながらも輝きを放つのは何故か?
それは既成の価値観に囚われず、常に自分の心に素直に正直に生きていけるしなやかな強さ故でありましょう。
その様な普遍性あるメッセージを画面で伝えてくれる傑作映画として見てみてはいかがでしょうか。