お互いに全く信用していないのに行動を共にしていた永松と安田。

安田はサバイバル術に長け永松を操っていますが、永松も安田を利用していると思っています。

永松が安田を撃ったのは田村が現地人女性を撃ったのと同じです。

怖くて堪らなくて『つい撃ってしまった』だけなのでしょう。

田村は女性を撃ち殺した後『塩』を奪い、永松は安田を撃ち殺した後安田の血を啜ります。

塩なら良いが命はダメという理論は通用しません。

顔中を血だらけにして田村に詰め寄る永松は自己を正当化しようと試みているのです。

自己を正当化する行為は人間本来のエゴイズムであり『人間の心』をまだ持っている証拠だといえます。

そこに永松の地獄を見た田村は永松を殺すことで救ったのです。

ラストの食事シーンの示す意味とは

塚本晋也×野火-塚本-晋也

生還した田村の魂は肉体から離れレイテ島を浮遊しています。

妻が運ぶ食事に箸を突き刺す田村の思いとは何でしょうか。

田村の行動が示すもの

おそらく田村は安田も永松も食べてはいません。

しかしそれは理性がさせなかっただけで、本能では食べたいと思ったはずです。

小説『野火』では「屍肉を切り分けようとする右手を必死で止める左手」というような表現がされています。

食べなかったことを安堵しつつも心の底では食べなかったことを後悔しているのかもしれません。

まるでナイフを逆手に渾身の力で肉を切り裂くようにサンマの塩焼きに箸を突き刺し続ける後ろ姿は恐怖さえ覚えます。

その瞬間田村の心の中には『こうやってナイフを突き刺して切り裂くのだ』という声が聞こえているのでしょうか。

彼の行為は屍肉にナイフを突き刺す快感を疑似体験しているのです。

そしてあの時の永松の行為を追認しているのでしょう。

覗き見る妻の思い

田村の妻は引き籠りサンマのはらわたを箸で突き刺し続ける夫を、化け物を見るような目で見ています。

怖いもの見たさの心境で覗き、そのあまりの闇の深さに恐怖したのではないでしょうか。

そんな夫のために日々食事を用意する妻の精神も崩壊してしまうかもしれません。

レイテ島だけではなくあの戦争で被害者とならなかった人間は一人もいないのです。

生還した田村が抱える闇

野火-のび-新潮文庫-大岡-昇平

妻が垣間見た田村の闇とはどういうものなのでしょうか。

田村は日本にいて作家として暮らしています。

日常から戦場という非日常に放り込まれ極限状態を生きた田村。

彼は敵軍病院のテントを見上げながら思考することを拒否し魂を分離したのです。

安田や永松の行為も野戦病院の医師の言動も、多くの兵隊が選んだ自爆という結果も全て肯定しています。

自分を食べろと言って死んだ伍長の中に見た蛆虫の幻覚も含め全部が現実であり、そしてすでに過去なのです。