出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B079K11R1W/?tag=cinema-notes-22
映画「あしたは最高のはじまり(Demain Tout Commence)」は2016年公開のユーゴ・ジェラン監督作品です。
主演には「最強のふたり」で有名スターになったオマール・シーを、娘役にはグロリア・コルストンを据えています。
物語は主人公サミュエルがクレマンス・ポエジー演じるクリスティンに娘を押しつけられたのが始まりです。
それまで遊び人だった彼は慣れないことだらけで、ゲイのベルニーと共に慣れない子育てに奮闘することに。
数々の障害を乗り越えていきながらサミュエルとグロリアが真の親子になる展開をハートフルに描いています。
今回は遊び人から父親になったサミュエルの幸せを中心に考察していきましょう。
また、本作に度々出てくる嘘が必要な時、そしてクリスティンがグロリアを託した理由なども併せて見ていきます。
子育ては親育て
本作全体を通して浮かび上がる一つのテーマ、それは「子育ては親育てでもある」ということです。
親は子供を生んだから親になるのではなく、子供を一生懸命育てていく過程で”親になる”ことが分かります。
サミュエルは最初から父親であるのではなく赤ん坊のグロリアを育て上げることで父親となりました。
その対極にいるのが血が繋がっているのに個人的事情で娘を勝手にサミュエルに押しつけたクリスティンです。
彼女は遺伝子こそ母親ですが、育児放棄と取られても仕方のないことをしてしまっており母親とはいえないでしょう。
生みの親より育ての親とはよくいいますが、本作はその上で更に父と子の双方向性をより強く押し出しています。
このことを念頭に置いて、以降本題を考察していきましょう。
サミュエルの幸せ
サミュエルが突然父親になったことで様々な障害やトラブルが彼に訪れました。
それまで遊び人として自由に暮していた方が一見幸せだったかのように思われます。
果たして本当にそうでしょうか?グロリアを育てたからこそ色々な経験が得られたはずです。
あらすじを追いながら、是非サミュエルの本当の幸せについて考察していきましょう。
遊び人時代
父親になる前の遊び人時代のサミュエルについて見ると、この頃の彼は幸せといえば幸せです。
しかし、この時の彼は女にだらしなく仕事はミスばかりで責任感の欠片もなく浮ついていました。
だから幸せとはいってもどこか空虚で、現実の苦労や努力を経験した上での幸せではありません。
確かに女受けもよく、女性を悦ばせることには何一つ不自由しない男だったことでしょう。
ですが、それは所詮一時的な快楽に基づくデタラメの快感・幸せになります。
サミュエルが本当に幸せになるときは寧ろ父親になってからなのです。
娘と築き上げた日々
父親となってからのサミュエルの幸せ、それは娘グロリアと共に築き上げた親子の日々でした。
しかし一朝一夕に立派な父になったわけではなく、言語の壁や仕事の壁など様々な試練が降りかかります。
極めつけは何と母親クリスティンがついてしまったグロリアとサミュエルの血縁関係の有無に関する嘘です。
これら全ての壁を親子二人三脚、否、アントワーヌ・ベルトラン演じるベルニーと三位一体で乗り越えてきました。