どんな有名人だって、最初は嘘をつくところから始まり、世の中のムーブメントを作っているのではないしょうか。

正に逆鱗はこの真理の錯誤効果を知らず知らずの内に曲を通して実行していたのです。

無音部分に込められた意味

無音

そんな熱い未来への思いを込めて作られたフィッシュストーリーですが、一分間謎の無音部分があります。

果たして、その無音部分という余白にはどのような意味が込められているのでしょうか?

それこそ岡崎のいうように想像しながら考察していきましょう。

正義の味方の誕生

大きな役割としては正義の味方の誕生のシーンを作ることではないでしょうか。

たとえば1982年の雅史の時などはこの無音部分で襲われている女性の悲鳴を聞くことが出来ました。

2009年でもこの無音部分の間に雅史の息子がシージャックから麻美を守ってすらいるのです。

更に2012年ではこの無音部分の間に5人の正義の味方が誕生するという予祝が実現しています。

このように無音部分で正義の味方が続々と登場しているのです。

欠落こそ解釈の余地を与える

石膏像 N-003 ミロ島ヴィーナス全身像 H.87cm

世の中の芸術にはこのように欠落がかえって解釈の余地を与えることもあります。

代表例はミロのヴィーナス、あれは欠けていることでかえって様々な解釈が生まれるのです。

フィッシュストーリーが時代や国を超えて世界を救う名曲になったのは正にこの欠落故でしょう。

だからこの欠落を私たち一人一人の解釈でそれぞれに埋めることで様々な形の正義の味方が生まれます。

そのような普遍的な芸術論としてあり得ることだと捉えれば全然荒唐無稽でも何でもありません。

想像こそが現実を作る

想像と現実 (現代精神分析双書 第 2期第5巻)

本作をこうして考察していくと正に“想像こそが現実を作る”ことがしっかりと示されています。

フィッシュストーリーという曲或いは外国の著書にしても全ては想像から生まれたものです。

歴史的な偉業や大事件なども結局は個人の想像や思考が働き続けた結果として実現しています。

だから正義の味方だって形が変わって、時代が変わったとしてもいつの時代も作られ続けるのです。

大事なのはその想像の余地を奪ったり否定したりせず受け入れる余地を作ることではないでしょうか。

正義の味方とは”想像を創造出来る者”

想像して創造する 望み通りの未来を創るイマジネーション力

いかがでしたでしょうか?

ここで冒頭の「正義の味方とは何か?」に戻ると、本作の正義の味方とは“想像を創造出来る者”といえます。

彼らは自分達のやっていることに何か大義名分や宿命といったご大層なものを背負っているわけではありません。

自分が信じるもの、即ち「こうしたいからこうする」を具体的に想像し、そして行動という形で創造していくのです。

逆鱗にしても雅史達ら正義の味方にしても、そうやって現実を形作って正義の味方となりました。

フィッシュストーリーという曲はそんな正義の味方達を作り上げていく一つのベースともいえる曲でしょう。

私たちの世界もこうしていけば正義の味方を作っていけることを教えてくれる実に面白い作品でした。