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『キュクロプス』は2018年に製作されたノワール映画です。
監督・製作・脚本は大庭功睦、主人公の篠原には実力派として名高い池内万作が起用されています。
本作はNorichikaObaの自主製作映画ですが、とても10日で撮った作品とは思えないほどの秀作です。
ヤクザの財前には個性派俳優の杉山ひこひこ、復讐に向かわせる松尾刑事には佐藤貢三と演技派が脇を固めています。
ストーリーの鍵を握る西刑事役の斎藤悠が観客をミスリードに導き真犯人を最後まで気づかせません。
事件の真相や愛人の存在、そしてオディロン・ルドンの描く隻眼の巨人の意味などネタバレも含みつつ解説していきます。
篠原の復讐から見える悪の本質とは何でしょうか。
妻の亡霊が与える影響と野良犬との関係から見えてくる篠原の人間性も合わせて迫っていきます。
悪の本質
妻とその愛人を刺殺した犯人として服役していた篠原は短慮で何にでもすぐ噛みつく野良犬のような男です。
面会に来た松尾刑事への執拗なまでに見せた攻撃性は後の伏線でした。
刑事とヤクザと前科者。
この三者を比較して悪の本質を考えてみましょう。
財前の悪の本質
刑事は善の象徴であり、ヤクザは悪の代名詞です。
悪の道に染まったものの悔い改めて罪を償ったものを前科者とするなら本作における悪はヤクザの財前となります。
しかし財前は誰のことも騙してはいません。
仕事として淡々と暴力を遂行する財前には背筋が凍るような恐怖を覚えます。
財前は我慢とか敬意などという人間性の欠片も持ち合わせていない男です。
小柄でチマチマと歩く姿が印象的な財前は武闘派というより頭脳派という印象を受けます。
そのやり口は残忍で情け容赦などない『暴力的な悪』なのです。
彼の悪の本質は『自分の欲望に忠実』なことと言えます。
篠原の本質
篠原は誰にでも噛みつくいつも何かにイラついている男。
彼の周りに信頼とか友情などという感情は存在していません。
篠原の心は欺瞞に満ちています。
誰からも傷つけられたくないという思いで凝り固まっており、遂には自分さえも疑っているのです。
彼の悪は『真実を認めない』という自己防衛でしょう。
その感情は人間がもつ防衛本能を遥かに凌駕するほどの強さです。
松尾という人間
本作では松尾の中に真の悪を見出すことができます。
彼の人生そのものが自己中心的であり、自分の利益のためなら他者の命などゴミ以下にしか思っていません。
しかも自分は安全な居場所を確保しつつ、人の心を操り意のままに利用するのです。
自らの手を汚すことなくすべて他者の責任に転嫁して甘い汁だけ吸うヒルのような人間として描かれています。
そして彼を撃ち殺し財前らと撃ち合って死んだことにする西刑事も同じ穴のムジナのようです。
財前と篠原、そして松尾という3人の共通項は『自己中心的な思考』でしょう。
キュクロプスとは
篠原が亡き妻とそっくりなハルという女を見つけたバーに飾られていた絵がオディロン・ルドン作の『キュクロプス』です。