過酷なリハビリに耐える一途さ。それによりみるみる回復する麻衣。
尚志と麻衣は特に一途さにおいて共通しています。
だからこそ、麻衣の記憶に障害があっても惹かれ合ったと考えられます。
麻衣の両親が尚志を突き放した真意
献身的に尽くすものの、麻衣の両親は尚志を突き放します。その真意はなんでしょうか。
現状への絶望
麻衣の両親が尚志を突き放したのは現状への絶望があったからです。
必死の看病にも関わらず目覚めない麻衣。
限界に近づく両親の気持ち。
それは、尚志の前向きな言葉に母親が拒絶反応を見せている様子からも伺えます。
家族である自分たちが絶望しているのに、他人である尚志が絶望していない。
日常で同じ状況があれば多くの人が嫉妬を感じる状況です。
両親にとって、自分たちより強い尚志は見ていて辛い存在でした。
尚志の人生を思う気持ち
いつまでも目覚めない麻衣のために、これ以上尚志の人生を振り回すわけにはいかないという気持ちです。
それこそが両親が尚志を突き放した真意です。
尚志を嫌うからではなく、逆に好きだからこその突き放す態度。
この時は結婚していないので、尚志は麻衣の家族ではありません。
今ならまだ、別の道を探せるという両親の思いやりもこの態度には含まれています。
家族ではないけれど、尚志はすでに家族と同等の存在だから自分の道を大切にして欲しい。
矛盾を含むような、それでいて確かな愛です。
今作では尚志と麻衣の二人の愛が描かれますが、家族の愛も同時に描かれています。
動画の意味
尚志は麻衣が眠っている間に動画を残していました。これには重要な意味がありました。
愛情の証としての動画
尚志が撮り続けた動画。これが変わらぬ愛の証でした。
麻衣が写っていなくても、一人きりでも動画を撮り続けた尚志。
ユニークに明るく、悲壮感を感じさせないように尚志は動画を撮っています。
呼びかけるように撮影する動画は、麻衣の眠っている時代の出来事です。
動画は形として残るので、記憶を失った麻衣にも献身的な尚志の愛を伝える効果をもたらしました。
二人を繋ぐ絆
尚志が撮った動画は、二人にとって思い出の場所を写していました。
眠り続けた麻衣の日々。当然、そこには風景や街の変化もあったはずです。
麻衣にとっては動画を見ることで失われた日々を追体験することができる。
そうすることで、例え遅れても尚志と同じ時間を味わうことができるのです。
空白の時間を埋める尚志の具体的な行動。
赤ん坊のような麻衣の心を動かすには説得力のあるものです。