アンドリューを生み出したのはあくまでも人間であり、人間が居て初めてロボットも生まれたのです。
考えれば当然のことですが、ロボットが人間らしくなるといずれ人間に対して反乱を起こしかねません。
そのような未来がネガティブシミュレーションとして考え得るから避けたのではないしょうか。
ロボット三原則第二条違反
そして何より一番の理由はアンドリューの訴えがロボット三原則第二条違反になるからです。
本作でも読み上げられたロボット三原則、その第二条とは以下の内容になっています。
(第二条)
ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。
ただし、与えられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。引用:アンドリューNDR114/配給会社:SPE
つまり、アンドリューは人間の命令に服従せず自分の自由意志で動くことになるのです。
こうなるとロボットの範疇を超えることになり、その原則をぶち破るには人間になるしかありません。
綺麗事だけで解決しない本作の厳しさとして示されている為ただの非情な決断ではないのです。
議会が訴えを最後に認めた理由
しかし、上記の訴えを議会は最終的に認めることになり、最後の判決でこう述べます。
史上初めて200年生きたことが確かな人間である
引用:アンドリューNDR114/配給会社:SPE
それまで頑なにアンドリューが人間だと認めなかった議会が何故最後に認めたのでしょうか?
これもまたあらすじを追いながら見ていきましょう。
基本的人格の形成と「自由」の獲得
第一段階としてアンドリューはリチャードの家族と暮らす中で基本的人格を形成していきます。
アマンダのガラスの馬を壊したお詫びに木製の馬を作ったり、人間のジョークや技術などを学んだり。
そうした積み重ねの中で徐々に人間の喜怒哀楽や暮らしのいろはを身につけていきました。
その次に人類が求める”自由”を求めてリチャード家から独り立ちを果たし女性型NDRのガラテアと出会います。
このように彼の人生は時間の経過こそゆったりであるものの人間の成長過程を辿っているのです。
永遠の命への懐疑
更にアンドリューはリチャードをはじめ様々な人達の死を間近に見て永遠の命への疑問を抱くのです。
これはロボットとして生きている根源への疑問でもあり、彼の思考は既に人間のそれとなっていました。
そしてその死の悲しみから逃れるために人工臓器を使っての延命措置を思いつきます。
しかしそれが必ずしも万人に受け入れられるわけでもなくポーシャのように拒否する人もいました。
この段階でアンドリューの思考は既に哲学といえる段階まで来ていたのです。
大事なのは“心”
そうしていく内にアンドリューは人間の本質がどこにあるのかを法廷でしっかり答えます。
その答えは胸の部分、即ち“心”にあって心があるからこそ人間は人間らしく生きていけると学んだのです。
だから議会で認める認めないの段階はここで遠くに乗り越えており、立派な自我を形成していました。
人間でさえも分からずに困っている人間の所以、そこにアンドリューなりのプロセスで辿り着いたのです。
それが伝わったからこそ議会はアンドリューをそのプロセス含めて人間だと認めたのではないでしょうか。
ガラテアが生命維持装置を切った理由
最後に出した判決を聞く前に、ガラテアはポーシャの生命維持装置を切りました。
アンドリューの死と重ねて描かれた本作の名シーン、その理由は何なのでしょうか?
ロボット三原則第二条に従った
まず一番の理由はロボット三原則第二条をしっかり守ったことです。
アンドリューがロボット三原則を乗り越えて自由を獲得したのに対し、ガラテアは最後までロボットでした。
ここで素晴らしいのは人間の素晴らしさを主張しつつもロボットの存在意義そのものを否定していないこと。