果たして誰がどこから撮影し、どのようにして保存していたのか劇中では一切説明されません。
ここで大事なのはビデオの撮影者ではなく、ビデオ自体がループ発動の装置になっているということです。
ビデオが切れたところでリセットが開始され、2人は何者かの存在に飲まれそうになりました。
この村ではビデオ撮影で記録を保存し、リセットの為に人殺しという仕組みを繰り返しているのでしょう。
正に大きな代償を払わなければ大きな成果は得られないというのと同じ理屈です。
特異点
そして最後まで明らかにされなかったのが兄弟を襲った黒い何者かの存在です。
可能性としては“特異点”、即ち時空に大きな影響をもたらす点がアルカディアにはあるのでしょう。
創作においてはある人物がその特異点として扱われることが多いのですが、本作は人ではなく場所のようです。
それが劇中で一切語られることがなく、兄弟2人にはそれが得体の知れない怖さとして映りました。
弟が兄と村を出ることを選んだ理由
このような村の実態を知った兄と弟は最終的に村から脱走する選択をしました。
しかし、最初出て行きたいといっていたのは兄だけで弟は反対しています。
一体どういう心境の変化があったのか、理由を考えていきましょう。
百聞は一見にしかず
まず1番大事なのは弟アーロンが持つ、カルト教団が集団自殺しているという噂を兄が信じたことへの不満です。
村に帰ってきて滞在しようとしたのも実態なき噂に自分の人生を棒に振ったことへの恨みでしょう。
しかし、百聞は一見にしかずで集団自殺が決して絵空事や噂ではなく実態としてあると知って変わりました。
実際に目の前にその現実を突きつけられてそれでも平然としていられる人間などまず居ません。
アーロンはこの現実を叩き付けられたことで一気に心境に変化が訪れたのです。
同じ時を重ねたい
何より大事なのは最後車の中で漏らしていた同じ時を共有していきたいという思いだったのでしょう。
アーロンは不平不満だらけだったとはいえ、決して心底から兄ジャスティンを憎んでいたわけではありません。
ただ、自分の気持ちを分かって共有して欲しかっただけのやや浅慮な可愛いやんちゃ程度なのです。
勿論兄弟であっても分かり合えなかったり時が経つにつれて疎遠になったりということもあるでしょう。
しかし、村を出て10年もの間身を寄せ合って生きてきた日々の積み重ねが無意識の内に絆を育んでいたのです。
そしてそれはループによるリセットでは決して得られないかけがえのないものなのでしょう。
アルカディアを客観視出来たから
3つ目に何よりも10年間を外の世界で過ごしたことでアルカディアを客観視出来るようになったことです。
外の世界は確かに厳しい現実が続き挫折や失敗も多いものの、アルカディアでは得られないものが得られます。
これは兄ジャスティンの方がその視点に早い段階で行き着き、弟へ示唆していたことが大きいでしょう。
外の世界で見たときかえってアルカディアの価値観が如何に閉鎖的なものかに気付いたのです。
その視野の広がりが寸前の脱出を可能にし、2人は現実世界へと戻ることが出来ました。
アルカディアの不気味さの本質
さて、ここまで見ていくと本作のアルカディアの不気味さにはある本質が見え隠れしています。