ここでは各要素を検討しながら一体何がアルカディアの不気味さに繋がっているのかを見ていきましょう。
ループ=停滞
まず1つ目が本作のループとは即ち“停滞”、つまり自分で考え前に進むことを辞めた者の皮肉です。
アルカディアの村人達は記録だけは積み重ねながら、しかし毎日やっていることは変わりません。
それは単純作業労働を無思考で行っているも同然であり、微塵も進歩の余地がないのです。
兄ジャスティンはその歪みに気付いているからこそ村に入ったときから警戒していました。
ビデオテープ=旧式化したメディア
面白いのはDVD・Blu-rayが主流となり携帯電話が普及している時代にビデオテープが残っていることです。
これは旧式化して時代に取り残されてしまった村社会の憐れさを皮肉たっぷりに描いているのでしょう。
本来であれば時と共にメディアも進歩しなければならないのにアルカディアだけは変わりません。
これは即ちいつまでも前時代に囚われ先へ進めないことの証として象徴的に機能しています。
惨殺される=宗教信仰の歪さ
そして1番怖いのは惨殺されることを村人達が当たり前だと何も疑問に思わないことです。
これはそのまま宗教信仰の歪さ、1人の絶対神に全てを捧げるカルト教団のおかしさを皮肉っています。
またその意味では自殺を選んでいる村人達も結局ループ自体から逃れられない為所詮同類です。
つまり、1つの組織に留まり続けその価値観を無思考で受け入れてしまうと従順な奴隷にしかなりません。
このようにして現実を歪めていくカルト教団はその組織内だけでアルカディア(理想郷)となるのです。
従順な奴隷か思考力を持った人間か
本作でSFガジェットを用いたホラーを通して描かれているのは人間としての生き方ではないでしょうか。
アーロンとジャスティンは村に居続けるか、それとも再び村の外へ出て行くかという選択を迫られました。
それは同時に従順な奴隷で終わるか思考力を持った人間として動くかという問いなのです。
確かに一見秩序が整ったアルカディアで生きていく方が何も考えなくていい分楽しそうに見えます。
しかし、その裏でとんでもない代償を払っていて、大きな秩序からは逃れられないという縛りがあるのです。
アーロンとジャスティンはここから逃れきって思考力を持った人間として留まることが出来ました。
だから辛い現実が続いたとしても自分達で選んだ道だからきっと後悔はしないでしょう。
まとめ
本作はこうして考察していくと実に奥深く風刺の効いたブラックジョークを盛り込んでいます。
それを直接的に描かず間接的に示唆するため感想は賛否両論あるようです。
1度見ただけでは何を描いているのかよく分からない部分もあるかもしれません。
しかし、真の名作とは何度も見直すことで味が出るものであり、本作は正にそのタイプではないでしょうか。
いずれにしても非常に意欲的な作品として記憶に残り続ける作品となるでしょう。