出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B079DGC6SC/?tag=cinema-notes-22
島本理生の恋愛小説を2017年に行定勲監督が実写化した映画『ナラタージュ』。
主演の葉山を松本潤が、そして助演の泉を有村架純が演じたことで大きな話題を呼びました。
その深いドラマ性から作品としての評価も非常に高く、以下の賞を受賞しています。
第22回釜山国際映画祭 「Marie Claire Asia Star Awards」Asia Star Award
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/ナラタージュ#映画
ただの高校教師と教え子のラブストーリーに収まらない情念の描き方は原作者からもお墨付きが出たほどです。
本稿ではそんな葉山が泉に渡した動かない懐中時計を持っていた意味をネタバレ含めて考察していきましょう。
また、柚子の自殺理由や最後に見つめ合った二人の心情などにも迫っていきます。
工藤泉視点の物語
本作は評価がかなり両極端に別れ、好きな人は好きな一方嫌いな人はとことん嫌いと差が激しい作品です。
その根本の原因はこの映画があくまでも工藤泉の回想という形で再構築された物語という点にあります。
劇中で泉が大々的に絡む葉山先生と小野も決して実物ではなく“工藤泉から見た男達”に過ぎません。
これに関しては葉山を演じた松本潤も原作者との対談で工藤泉から見た葉山を意識して演じたと語っていました。
即ち泉から見た二人は男の格好良さと同時に煮え切らなさや格好悪さもある人物として映っていたのでしょう。
そしてそれは当の工藤泉自身が美しさと同時に煮え切らない可愛げのない女性だったことの証左でもあります。
そういう視点の物語だということを念頭に置いて本作を考察していきましょう。
動かない懐中時計を持っていた意味
本作の冒頭とラストシーンでは泉が葉山先生から貰った懐中時計が象徴的に出てきます。
果たして何故泉はこの懐中時計を別れた後もずっと持ち続けていたのでしょうか?
回想も振り返りつつ考察していきましょう。
懐中時計=心の針
まず明らかにしておくべきことは動かない懐中時計が心の針の象徴として用いられていることです。
非常にベタな表現ではあるのですが、本作においては二重の心の針を意味していると推測されます。
一つが葉山先生の心の針、そしてもう一つが工藤泉の心の針という二重の意味を持っているのです。
止まったままということは即ち二人の心がずっと停滞していて前に進めなかったということでしょう。
しかし、それならば何故そんなにも長いこと懐中時計を持ち続けていたのでしょうか?
気持ちのズレ
泉がずっと持ち続けていた理由は恐らく自分と葉山先生の気持ちの向き方に大きなズレがあったからでしょう。
葉山先生にとって泉は”教え子”なのであって、卒業後にキスや肉体関係を持っても心は妻の美雪にあります。
だからこそ泉に自分の人生を大切にしろと助言を残し、小野と彼女が交際しても全く動揺しないのです。
しかしそんな彼の泉を思いやったが故の優しさが泉にとってはこれ以上ない残酷さに映ったのではないしょうか。
そしてそれは決して一度のキスや肉体関係などのような物理的行為によって埋めることの出来ない問題なのです。
その気持ちのズレが未練となり、更に懐中時計という具体的な形で残ったと推測されます。
最後に懐中時計が動いた意味
ずっと動かなかった懐中時計が再び動き始めた意味はここまで来るともう明白でしょう。
宮沢と一緒に窓辺に立ったことでまた新しい二人の関係が始まり、やっと泉の未練は消化されたのです。