本作ではどちらかといえば光り輝くものが正体であると考えて良さそうです。
逆「ノアの方舟」
語弊を恐れずいえば、そもそも「それ」の正体自体は大事ではないのかもしれません。
というのも、これだけ被害が広がりすぎると正体や原因が分かった所で解決策はないからです。
それよりも「それ」が何を引き起こしたかというと逆「ノアの方舟」ではないでしょうか。
物語前半でチャーリーは宗教的な終末の世界と述べており、旧約聖書では「ノアの方舟」が該当します。
こちらでは本家とは違って殆どの生物や自然は生き残るが人間は絶滅する構造となっているからです。
マロリー達が途中川下りにボートで逃げ出そうとしたのも一つのオマージュなのかもしれません。
自分の子供に名前をつけなかった理由
さて、マロリーは自分達の子どもに敢えて名前をつけませんでした。
また接し方や距離感もどこかぎこちなく親子という感覚が余りなさそうにも思えます。
では何故マロリーは子ども達に名前をつけなかったのかを掘り下げていきましょう。
生命の保証がない
最初に挙げられるのはマロリー達が無事生き延びられるという生命の保証がないことです。
目隠しを取れば必ず自殺し、また行く道の先に何が待ち構えているのかも分かりません。
マロリー自身も子供達より先に死んでしまうかもしれないという不安と恐怖があるのです。
そんな状態で子どもに名前をつけるのはそれこそ自殺行為だと彼女は思ったのでしょう。
だからこそ彼女はラストに来るまで子ども達の名前をつけませんでした。
情に流されない
二つ目にマロリーは迂闊に子ども達を思う余りに情に流され大局を見失わないようにしたのでしょう。
外に出てからのマロリーは母親というよりもリーダーもしくは指揮官という言葉が似合います。
迂闊に溺れそうになった子ども達を助けたり、また独断での行動をしっかりダメだと怒鳴りつけるのです。
上記したようにいつ命が奪われるかも分からない状態での勝手な行動は時として命取りとなります。
そのような命取りとなる行動・言動を是が非でも回避したかったのではないでしょうか。
大事なことは何よりも「生き延びること」にあるのであり、それは「自殺」との対比です。
地獄の暗喩
三つ目の理由としてはマロリー達が生きている暗闇の世界が地獄の暗喩だからではないでしょうか。
特に後半のトムやゲリーとの邂逅、またそこで起こる避難グループとの対立は必見です。
ここではゲリー達が疑心暗鬼を生じた結果殺し合いとなり自分とトムと子ども達と小鳥以外居なくなりました。
更にそのトムはマロリー達を守るために目隠しを外して対決、勝ちはしたものの自殺するのです。
そう、一回でも目隠しを外してしまえば死ぬか生き延びる為に他者を傷つけ殺すしかありません。
これを地獄と呼ばずして何と呼べば良いのかという程に生きた心地がしない所で生きているのです。
だからこそ本当に落ち着くまではマロリーも子ども達も「死んだ」ことにしたのではないでしょうか。