黒澤監督の描いた本作品は侍たちが主役ですが、実は隠れた主役たちが存在しています。
それは、侍たちを雇った百姓です。
勘兵衛のラストのセリフを考察する前に、百姓の存在を確認しておきましょう。
時代背景
七人の侍は、戦国時代末期の「刀狩命」直前の時代が舞台になっています。
「刀狩命」は百姓が武器を持つのを禁止したものですが、裏を返せば百姓の力を恐れたとも取れます。
劇中でも百姓たちは武器を隠し持っていました。
戦に明け暮れて生活もままならなくなっている侍と、生活の基盤をしっかり持っている百姓…。
侍だから裕福というわけでもなく、百姓だから貧しいというものでもありません。
両者の間には大きな差がない時代だったのです。
百姓は「いい人」じゃない
劇中で三船敏郎演じる菊千代は下記のセリフを放っています。
百姓ってのはな、けちでズルくて、泣き虫で、意地悪で、間抜けで、人殺しだぁ。
引用:七人の侍/配給会社:東宝
このセリフは自らの体験を元に語っていますが、当時の百姓の様子を的確に表現しています。
田畑を耕し地道に生きている、それが本来の百姓の姿です。
しかし菊千代がいうように、戦乱の世が百姓を変えました。
百姓たちはしたたかに強くなければ、生きていけなかったのです。
彼らは決して弱い存在ではなく、生きる為なら何でもやってのける強者たちといえます。
勘兵衛のラストのセリフの真意
侍たちは戦いで仲間を失い、暗い表情のまま幕を下ろします。
ここで名セリフとして語り継がれた勘兵衛のセリフが、映画の奥深さを心に刻み付けるのです。
「負け戦」とは
勘兵衛は野武士に勝利したにも関わらず、今回の戦いを負け戦と表現していました。
戦に勝ったのになぜだろうと、劇中の七郎次のような気持ちになった方も多いのではないでしょうか。
今度もまた、負け戦だったな。
勝ったのはあの百姓たちだ、わしたちではない。
引用:七人の侍/配給会社:東宝
戦いで、侍たちは味方の四人の尊い命を失いました。
彼らが見つめた墓標はとても寂し気な雰囲気をかもしだしていますが、時代に翻弄され利用されたという命を物語っているのでしょう。
結局自分たちは百姓に上手く操られた…、勘兵衛にはそんな気持ちがあったのでしょう。
命を落とした仲間たちに関しても、自分たちを踏み台に生きて行く百姓たちに殺された、と感じていたのかもしれません。
勘兵衛にとって戦は負け戦しかない
勘兵衛は時代を器用に生きている人物のように見えますが、実際は違います。
彼は決して完璧なリーダーではなく、ただのひとりの侍なのです。
仲間を失えばその重みをずっと背負い、命を懸けることが生きていくために必要とされる。
百姓たちのように器用には生きていけません。
おそらく勘兵衛にとって、多くを失う戦はどれも負け戦となるのではないでしょうか。
百姓たちの前向きな生き方を称讃
勘兵衛のセリフには自分たちへのむなしさと共に、百姓たちへの思いも含まれています。