現実の世界においても、様々な人とのコミュニケーションや物事を実現するにあたって、それぞれの国に「法律」というルールが設けられています。
同様に、たくさんの民に同じルールを認知してもらうためには、ヒックやトゥースが国王となり、共存に必要なルールを広めていくことが大切でしょう。
新しい文化の誕生
バーク島の国とドラゴンの国がそれぞれ誕生したとすると、今度は島を中心にドラゴンと人間の生活が融合した、新しい文化が誕生するでしょう。
ドラゴンと人間が共存する世界は実現できていませんが、エンドロール直前のヒックの台詞において、この世界は「まだ」危険すぎると話しています。
「まだ」とあるように、ヒックはドラゴン達との共存をあきらめていません。
ドラゴンのリーダーとなったトゥースも、成長したヒックのことを覚えていることから、バーク島の人間達との思い出を忘れていないと考えられます。
リーダー同士であるヒックとトゥースの友情を通して、人間とドラゴンが同じ場所で共に暮らす文化が確立される時期もそう遠くはないでしょう。
原作との違いによる作品への影響は?
映画『ヒックとドラゴン』シリーズの原題は『How to Train Your Dragon The Hidden World』であり、イギリス児童文学が原作となっています。
映画と同様、ヒックとトゥースの友情を描いた作品ですが、映画版と原作の設定には細かな違いがあり、この違いにはある意味が隠されているのです。
ここでは、原作との違いによる作品への影響について考察していきます。
ドラゴンが持つ神秘性の強調
原作では、主人公であるヒックがドラゴン語を話せるという設定になっているのです。
ドラゴン語でのコミュニケーションを通して、トゥースをはじめとしたドラゴン達との絆を深めていきます。
しかし映画版では、シリーズを通してヒックがドラゴン語を話す設定はありません。
本作でもトゥースや他のドラゴン達とは表情やジェスチャーなどでコミュニケーションをしているのです。
あえて言語によるコミュニケーションをなくした理由については、ドラゴンが持つ「神秘性」を強調するためであることが考えられるでしょう。
最初から言葉が通じる者同士であれば、人間とドラゴンが互いをすぐに理解できてしまいます。
つまり、シリーズを通して繰り返されてきた「人間とドラゴンの戦い」という設定が崩れてしまいかねません。
そのため、言葉の壁をつくることで、ドラゴンが、人間には簡単に理解できないミステリアスな種族であることを強調しているのではないでしょうか。
友情や絆の強調
また『ヒックとドラゴン』シリーズを通して描かれている「人間とドラゴンの戦い」ですが、実は原作では存在しない設定なのです。
原作の児童文学作品において、舞台となるバーク島は「人間がドラゴンを飼いならすことで一人前になれる」という文化が定着しています。
共存に近い設定であった原作から、人間とドラゴンの戦いに変更したのは、人間とドラゴンの絆をより深いものにするためであると考えられるでしょう。
ヒックが長になるより前から、バーク島では人間とドラゴンの戦いが繰り広げられていることを考えると、簡単に心を通わせるのは不可能といえます。
苦い過去という、相互理解のうえで避けられない障壁を作ることで、苦悩の先に得た「絆」を、より感動的なものに仕上げているのではないでしょうか。
まとめ
ディーン・デュボア監督が手掛ける『ヒックとドラゴン 聖地への冒険』が描く共存と友情は、現実社会にも当てはまる内容といえます。
ただの物語としてだけではなく、自分とは違う考え方・生き方をしてきた者達との相互理解の方法を考えながら鑑賞するのも良いでしょう。