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『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望』は、本広克行監督、君塚良一脚本による大ヒット映画『踊る大捜査線』シリーズの最終作です。
シリーズ完結編となる本作では、過去作には無かった表現・テーマを扱っていることもあり、放映当初から話題になりました。
なかでも特に印象的なシーンの1つであるすみれのバス突撃シーンでは、すみれの身体が透けているという点で、様々な考察がされているのです。
今回は、バス突撃シーンですみれの身体が透けていた理由を考察するとともに、エンドロールの写真に隠された意味などについてまとめていきます。
すみれの身体はなぜ透けていたのか?
真下の息子を誘拐した久瀬が潜入していたバナナ倉庫に、すみれは青島達を救うべくバスで突撃しました。
しかし、事故で横転したバスから出てきたすみれは、身体が透けています。
すみれの身体が透けているのには、様々な意味が隠されていると考えられるのです。
ここでは、バス事故の直後のすみれの身体が透けている理由について考察していきましょう。
バスでの事故で死亡している
倉庫の壁を破壊し、バス自体も横転してしまうほどのスピードを出していたことを考えると、運転者が生きている可能性はかなり低いといえるでしょう。
そのため、運転席にいたすみれは、事故の時点ですでに死んでおり、身体が透けていたのはすみれの亡霊の姿であると考えられます。
その直後、青島は突撃直後のすみれの身体を抱えながら彼女と会話をしていました。
しかし、すみれが死んでいることを踏まえると、すみれの死を受け止めきれない青島の心の中での会話であるといえるでしょう。
また、伸次郎が青島とすみれの様子を見て微笑むシーンがあります。
このシーンについては、伸次郎が霊感を持っており、死んだすみれの姿を見ることができたと考えることで辻褄が合うでしょう。
すみれがすでに死んでいるという考察の理由となるのが、事故後のすみれの描かれ方です。
実は、バナナ倉庫での事故以降、エンドロールまでの間にすみれが登場するシーンは存在していません。
さらに、バナナ倉庫での事故より前の時点で、すみれは警察官を辞職しているため、他の警察官は、すみれのその後を知らないのです。
湾岸署では「警察官を辞めた」ということしか伝わっていないとなると、すみれが死亡していても、周囲の反応が変わらないのはおかしくないでしょう。
すみれの生霊
すみれがシリーズの看板ヒロインであることから、仮にバスの事故で死んだとして、その後に葬式シーンが用意されていてもおかしくないでしょう。
しかし、事故の後にすみれのことを思い出したり、葬式を挙げていたりなど、視聴者にすみれの死を認識させるシーンはありません。
そこで考えられるのが、青島を心の底から心配していた、すみれの生霊という考察です。
スピリチュアルの観点によると、人間は他者に対して強い執着心を持つことにより、身体から魂が抜け出し生霊となって自由に動き回るとされています。
今野圓輔の『日本怪談集 幽霊篇』によると、死の間際の人間の霊が生霊になり、親しい者に会いに行くという事例もあるようです。
ここから考えると、すみれはバス事故の時点で生死の境をさまよっている状態であり、青島の無事を確認したいがために身体から抜け出したといえます。
その後のエンドロールにて、青島に支えられながらパトカーに囲まれている写真が登場していることから、事故の後すぐに救助されたのでしょう。
上層部が隠蔽したかったものとは?
本作において強調されていたテーマである「隠蔽」ですが、なかでも警察の上層部による隠蔽はかなり色濃く描かれていました。
本作における一連の事件をあの手この手で揉み消そうとしていた上層部の人間達は、一体どのような理由で隠蔽をしようとしたのでしょうか。
ここでは、警察上層部の人間達が本当に隠蔽したかったものとは何なのかを考察していきます。
警察官が犯人という事実
映画の終盤で、一連の事件の裏に、6年前の少女誘拐事件の操作に携わっていた鳥飼や久瀬・小池という3人の警察官の存在が明らかになりました。